ホーム | 連載 | 2007年 | 県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く | 県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《9》=ミナスの古都巡る=黄金の教会に嘆声

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《9》=ミナスの古都巡る=黄金の教会に嘆声

ニッケイ新聞 2007年10月31日付け

 セニブラ社を見学し終えた一行は、その日の内にベロ・オリゾンテへと移動。六日目は宿泊したホテルから約百キロ離れた、オウロ・プレットとマリアーナ市のミナス州古都州巡りツアーへと出発した。
 ホテルを出発した一行は、約一時間半ほどの車中で、地元ガイドのエンリッキさんからオウロ・プレットについての説明を受けた。
 同地域は十七世紀末にブラジルで初めての計画都市として建築され、十八世紀初期のゴールドラッシュを迎えた。十八世紀には世界の金総生産量の六割を算出したと言われるほどだった。一九八〇年にユネスコから世界遺産として登録を受けている。この指定されている場所は旧市街の周辺だけで、それ以外は観光地用に作りかえられているところも多くある。
 この地域で取れるのは砂金がほとんど。山や谷ばかりで険しい場所ではあったが、何百メートルも深く掘られている場所もあるほど発掘を行っていた。取れた砂金の大半はヨーロッパなどに輸出されていたが、金脈が無くなってしまうと、一気に廃れていった。
 町の入り口で小休憩。この時間を使って一行はお土産屋へ。石鍋や安い宝石などを喜んで買い込む姿もあった。
 石畳が並ぶ街並みは、同地域の歴史の重みを感じさせるものだった。大型観光バスが通行不可能なため、バンに乗り換えてオウロ・プレットの見学を行った。
 初めに訪れた場所はサンフランシスコ・ド・アシス教会。バロック式で建てられている同教会は、窓から光を取りいれていて、他の教会とは違った様子で建築されている。説明後、一行から「床に書かれている番号はなんですか」との質問が。ガイドは「棺の番号です」と、平然と返答した。「死体の上を歩いて祟られたりしないか」との心配そうな声も。
 続いて、マルティス・デ・ノッサ・セニョーラ・ド・ピラール教会へ。同教会はブラジル国内で二番目に金を使用して建築された教会だ。そのため、入場する際は金の盗難を防ぐために荷物を持って入ることは許されていない。金張りで作られた教会に一行から感嘆の声が漏れた。その後、チラデンテス広場や大学内にある地理学博物館などを訪れた。
 昼過ぎ頃までに足早に観光を終わらした一行は、昼食のため金鉱山入り口近くのミナス料理レストラン「アクアマリン」へ。ミナス・デ・パッサージェン金鉱山の近くということもあり、急いでご飯を口の中に掘り込み、見学に訪れる人の姿もあった。「ゆっくりしたほうが良いぞ」と冷やかす人もいた。
 遅めの昼食を終えた一行は最後の交流会を控え、一度ホテルへと戻っていった。(つづく、坂上貴信記者)



県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《1》=ヴィトリア=3国出資のツバロン製鉄=今も続く〝日本システム〟

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《2》=最古の町ヴィラ・ヴェーリャへ=テルセイラ・ポンテの絶景

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《3》=エスピリト・サント=ムケッカ料理発祥の地=伝統の土鍋造りに釘付け

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《4》=ヴィトリア=創立24年目の日系協会=〝子供たち〟と感動の再会

ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《5》=ミナス=日本との関係残るイパチンガ=文協会館はウジミナスから

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く=連載《6》=イパチンガ=日系企業と育った町=百周年で日本庭園も計画

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《7》=ウジミナス社を訪問=最先端の製鉄技術に関心

県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《8》=セニブラ=ブラジル3位の紙パルプ企業=苗床見学に興味深々

image_print

こちらの記事もどうぞ