県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く=連載《11・終》=ベロ・オリゾンテ=両手一杯に思い出抱え=日系団体の交流に大満足
ニッケイ新聞 2007年11月02日付け 最終日のこの日はパンプーリャ地区の見学を行った。一行の中には少々淋しそうな顔をしている人たちもいた。 同地区はブラジリア建設にも携わったオスカー・ニーマイ
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《10》=ベロ・オリゾンテ=ミナスを好きになって=最後の交流も和やかに
ニッケイ新聞 2007年11月01日付け オウロ・プレットの見学を終えた一行はホテルでしばし休息の後、夕刻から最後の交流会を行うためにミナス日伯文化協会(馬場直哉会長)会館を訪れた。 同協会の関係
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《9》=ミナスの古都巡る=黄金の教会に嘆声
ニッケイ新聞 2007年10月31日付け セニブラ社を見学し終えた一行は、その日の内にベロ・オリゾンテへと移動。六日目は宿泊したホテルから約百キロ離れた、オウロ・プレットとマリアーナ市のミナス州古都
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《8》=セニブラ=ブラジル3位の紙パルプ企業=苗床見学に興味深々
ニッケイ新聞 2007年10月27日付け ウジミナス社を後にした一行は、さらなる見学地のセニブラ社を訪れた。昼前の時間ということもあり、まずは簡単にバスで工場内を見学。案内をしてくれたのは同社で建設
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《7》=ウジミナス社を訪問=最先端の製鉄技術に関心
ニッケイ新聞 2007年10月25日付け 五日目は、ミナス・ジェライス州に大きく貢献している日系企業、ウジミナス社を訪問した。イパチンガ日伯文化協会の金兼文典会長が通訳として働いているために、同社を
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ミナス・ES路を行く=《連載6》=イパチンガ=日系企業と育った町=百周年で日本庭園も計画
ニッケイ新聞 2007年10月24日付け イパチンガ日伯文化協会(金兼文典会長)の会館が改装中のため、交流会は山九㈱が所有するクラブ「Clube Dr.Kozo Nakamura」で行われ、同協会、
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《5》=ミナス=日本との関係残るイパチンガ=文協会館はウジミナスから
ニッケイ新聞 2007年10月20日付け 交流会の余韻を残したまま四日目に突入。エスピリト・サント州ヴィトリアからミナス・ジェライス州のイパチンガまで国道262号を通り、約四百キロの道程をバスで移動
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《4》=ヴィトリア=創立24年目の日系協会=〝子供たち〟と感動の再会
ニッケイ新聞 2007年10月19日付け 午前中に市内観光を終わらせた一行は、地元日系団体のヴィトリア日系協会(松永扶男会長)と交流を行うべく同会館を訪れた。大型バスが近くまで入ることができないため
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《3》=エスピリト・サント=ムケッカ料理発祥の地=伝統の土鍋造りに釘付け
ニッケイ新聞 2007年10月18日付け ヴィラ・ヴェーリャ市のノッサ・セニョーラ・ペーニャ(nossa senhora penha)教会に続いて一行は、一九二〇年にドイツ移民によって建てられたガロ
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県連ふるさと巡り=日伯の絆たどる旅=ES・ミナス路を行く=連載《2》=最古の町ヴィラ・ヴェーリャへ=テルセイラ・ポンテの絶景
ニッケイ新聞 2007年10月17日付け 二日目、午前九時にホテルを出発した一行は、ヴィトリアに隣接する同州内最古の町ヴィラ・ヴェーリャへと続くテルセイラ・ポンテ(三番目の橋)と呼ばれる橋を渡った。
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