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【特集】モジ・ダス・クルーゼス市百周年

ニッケイ新聞 2008年6月27日付け

モジ百周年公園ついに完成=開所式をあす開催=充実した設備を誇る=「先人の労苦に敬意」=「ブラジル人への感謝の気持」

 百周年を記念してパラナ州マリンガ、ロンドリーナ、サンパウロ州でもプレジデンテ・プルデンテなど各地に日本庭園が誕生しているが、サンパウロ市近郊のモジ・ダス・クルーゼス市では、その決定版ともいえそうな百周年公園(Parque Centenario)が、あす開所式を迎える。単なる自然公園ではなく、日本移民をテーマにした文化的な市民の憩いの場になっている。百周年を記念した同地目玉事業に相応しく、笠戸丸の複製モニュメントや資料館などの施設はもちろん、充実した設備が売り物だ。当日は式典のみならず、たくさんのアトラクションも用意されており、家族揃って一日楽しめるようなイベントとなっている。
 公園建設を中心になって進めてきた安部順次モジ市長は「構想段階から資金集め、建設の過程まで一貫して、両国民の共生を促進するために進められてきた。さまざまな文化的なシンボルをちりばめただけでなく、一般市民全員、特に近年人口増加の著しい市東部住民が楽しめるように考えられた場所だ」と公園を構想した動機を語った。
 加えて、「移民を代表してブラジル人への感謝の気持ち」「ブラジル人として、移民の苦労した人々に敬意を表する」「これからさらに日伯交流活性化するように」などの思いも込められていると市長は説明する。
 総工費四百万レアルの百周年公園は、日本移民をテーマにしながらも市民全体が活用できる場所を目指している。週末には、一日当たり平均三万人が利用すると予想されている。
 昨年三月に定礎式が行われ、今月の完成を目指して着々と進められてきた。すでに観光省からの七十八万レアルが投資された。残りの資金に関して、市役所はもちろん、地元企業からのたくさんの寄付を集めた。
 面積は二十一万五千平米もあり、四つの池を中心に、数多くの魅力ある施設が配置されているのが特徴だ。
 公園内には、正門に鳥居(高さ十メートル、長さ二十メートル、赤色)を建立し、二千八百メートルの遊歩道を整備。四カ所の湖の周囲には桜、イッペー、クアレズメイラなどの多様な樹木を植樹する
 日本庭園を造り、池には噴水、広場に展望台などを設置、富士山の壁画を飾ったり、日本移民を表すミニチュアを置いたりする予定だ。

【笠戸丸複製モニュメント】長さ三十一メートルもある巨大な笠戸丸の複製モニュメント(レプリカ)が設置されている。船倉部分は、初期の日本移民に関する写真や物品が展示された日本移民資料館になっている。
【移民広場(Praca do Imigrante)】サッペー小屋を模した休憩所を作り、中に初期移民の使った品々を陳列する。
【姉妹都市記念館(Memorial das Cidades Irmas)】モジ市が姉妹都市提携する岐阜県関市と富山県富山市からの慶祝団が寄贈していった品々を展示し、姉妹都市のことを市民に知ってもらうスペース。
【シャレー(Chales)】シュラスケイラなどが用意されておりピクニックなどで市民が使って、楽しめる場所。
【盆踊りサンバ広場(Espaco Bom Odori – Samba)】ショーを見せる設備。盆踊りもちろん、サンバなのどブラジル芸能にも使える。
【鳥居島(Ilha do Torii)】日系のシンボルである鳥居を設置した島。浮き橋を通して、そこまで渡れる。
【浮き橋】朱塗りの橋風にされた浮き橋。
【プレイグラウンド】子供用遊び広場。
【遊歩道】池の回りをぐるっと歩け、総延長二千五百五十メートルもある。
 その他、サッカーミニコート、バレーコートなどスポーツ施設もある。
 約三百台収容可能の駐車場をある。
 「旗のパンテノン」(Panteon)には特別なスペースが設けられ、連邦直轄区を含む全伯の二十七州の州旗と、日本の四十七都道府県の旗が一同に会する。
 【住所】avenida Francisco Rodrigues Filho, no distrito de Cezar de Souza.

【バスでの行き方】
 百周年公園内には約三百台分の駐車場も完備するほか、モジのCPTM(鉄道)の終着駅エスツダンテおよび、バスターミナル・ジェラルド・スカボーネなどからの公共バス路線が十三本も通っており、非常に交通の便が良くなっている。
 十三路線のうち、テルミナル・デ・インテグラソン・モジラール(avenida Prefeito Carlos Ferreira Lopes)から五路線が、残りの八路線はテルミナル・インテグラソン・エスツダンテス(rua Professor Alvaro Pavan、鉄道駅エスツダンテ前)から発着する。
 市交通局によれば、開所式から数日間は、同公園を通過するバスの前面に特別なシールを貼り付け、公園行きであることを明示する。
【百周年公園行きバスの番号、路線名、発着ターミナル】
▼007=Jardim das Bandeiras=Terminal Estudantes▼018=Conjunto Residencial Jefferson=Terminal Mogilar▼032=Botujuru=Terminal Estudantes▼038=Vila Aparecida=Terminal Estudantes▼040=Alto do Botujuru=Terminal Mogilar▼049=Morada do Sol=Terminal Estudantes▼102=Sabauna via Tronco=Terminal Estudantes▼103=Sabauna via Cezar=Terminal Estudantes▼108=Rio Acima=Terminal Estudantes▼113=Divisa de Guararema=Terminal Estudantes▼202=Jardim Layr ? Cezar de Souza=Terminal Mogilar▼203=Vila Sao Sebastiao ? Vila Aparecida=Terminal Mogilar▼206=Jundiapeba ? Cezar de Souza=Terminal Mogilar

写真説明 上)鳥居島の向こうに笠戸丸の複製モニュメントが建つという、日本移民のシンボルをちりばめた景観 下)公園の名物の一つ、朱色の浮き橋からの眺め

モジ文協で慰霊祭=功労者をオメナージェン

 モジ・ダス・クルーゼス文化協会では十五日に慰霊祭を行い、三十六人の功労者をオメナージェンした。セレモニーには、功労者の一人に選ばれた安部順二市長も参加、「日系人はいろいろな分野に渡って市、州、ブラジルの発展に尽くした。文協から顕彰されることを大変誇りに感じる」と語った。
 記念プレートを渡す場面では、市長は所用で退場することになったために子息、安部ジュリアーノ・ジュン弁護士が代理で受け取った。

1919年に始まる入植の歴史=戦前から植民地が続々と=近郊農業を中心に発展

 日本人モジ入植の歴史は古い。『拓魂永遠に輝く』(一九七一、モジ五十年祭典委員会編)によれば、一九一九年にサバウーナ(後にコクエーラ)に入植した鈴木重利(秋田県)氏とふじえ夫人を嚆矢とする。
 モジ市役所サイトによれば、初期の入植者には、同仁会の高岡専太郎医師の勧めで入ったものが多いという。というのも、当時のサンパウロ州奥地ではマラリアが蔓延しており、モジの温暖な気候が療養を兼ねた滞在に適当との判断だったという。
 豊穣な土地に恵まれたこともあり、当初から日本人たちは野菜などの生産に取り組んだ。その中には、現在の安部順二市長の祖父、故・安部徳治氏(大分県)もいた。
 また、今日のモジ市の農場発展の歴史に欠かせないのは、モジ産業組合の存在だといわれる。戦前・戦後を問わず、モジ日系農民のすべてがその恩恵に浴したといってもよいほどの大きな影響力をもっていた。
 一九三一年九月にコクエーラ在住の田辺茂明方での農談会の席上、農民援護機関の設置が検討され、十月に阿南紀男商店にて十二人の代表により、定款が作成され、「モジ農産出荷組合」が設立された。初代理事長は渡邊孝氏だった。
 『拓魂~』によれば、モジ地区の初期の植民地と創設者は以下の通り。
【曙植民地】一九四五年創立、武田久喜(福島県)と愛沢淳志(同)【ボツジュル植民地】一九二四年、本田慶三郎(神奈川県)
【ビ・ウスー植民地】一九三二年、安部徳治(大分県)
【ビ・ミリン植民地】一九二九年、武部繁(石川県)
【セ・デ・ソウザ植民地】一九二七年、加古藤市(愛知県)
【コクエーラ植民地】一九一九年、鈴木重利(秋田県)
【だるま植民地】一九四八年、佐藤吉重(岩手県)
【カッペーラ植民地】一九二九年、長尾宗次郎(北海道)
【日之出植民地】一九五一年、小西繁行(福岡県)、的場為蔵(福岡県)、田畑実由(宮崎県)
【リオ・アシーマ植民地】一九五六年、長尾藤太郎
【ピンドラーマ植民地】一九四七年、スブルバーナ産組
【ポ・プレット植民地】一九二〇年、西江八郎(岡山県)
【相互植民地】一九四〇年、福川為然(山口県)
【サバウーナ植民地】一九一九年、鈴木重利(秋田県)
【カルモ植民地】一九四七年、森重太郎(福岡県)、富田仁八(熊本県)、空閑喜蔵(佐賀県)、田中磯吉(福岡県)、林内茂人、水野和一、永山竜夫。
【タパニヤウ植民地】一九三二年、小松喜吉(石川県)、新田又治(同)
【タボン植民地】一九四六年、藤永延一、林田塊(山口県)、藤井一友、河村昌男(山口県)
【タイアスペーバ植民地】一九三五年、中村藤作(北海道)
【ヴ・モラエス植民地】一九二八年、乾昌平(静岡県)以上、敬称略。

早朝、鐘の音100回響く=移民の日朝5時半に千人

 モジ市では十八日早朝五時半に、モジラールにある職業開始センター(CIP)で、百人の地元著名人が百周年を記念して鐘を撞くセレモニーが粛々と行われた。
 早朝にも関わらず千人もが駆け付けた。最初に日伯両国歌が斉唱され、続いて、鐘を一回ずつ鳴らし始めた。
 市役所広報によれば、安部市長は「鐘の音一つが一年を象徴し、百人の招待者は百年を意味する。仏教においては、特別な日の早朝に鐘をならす習慣がある」とセレモニーの意義を説明した。
 その夜、七時半からは市立教育訓練センター(Cemforpe)で「感謝の夕べ」が行われ、百周年公園建設に貢献のあった二百二十の個人や会社に対し、賛辞が送られた。続いて、市議会の代表からモジ市の日系社会発展に尽くした三十人へのオメナージェンも行われた。顕彰されたのは次の通り。

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