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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年8月1日付け

 コロニアの場合、どういう人が文協や援協、さらには、もう役割は終りかけているが、百周年協会の役員であればいいのか、〃傍目八目〃的に考えることがある。経験則にてらしていうと、基本的には「いま、何がもっとも必要とされているか」を把握でき「公人として他人の気持がよくわかる人」が望ましい▼四年ほど前、百周年協会が発足し、グランドデザイン(全体構想)が描かれた。現在、その実現の程度をみると、記念式典が済み、百年史(写真集含む)が形あるものとして、一部だが、できている。あとはどうなったか。少なくとも一般の関心を持つ向きには広報されていない▼実現したサンパウロの記念式典に関しては、成功したか否かについては、意見の分かれるところだ。何度も蒸し返すが、入場券の入手に苦労した人たちは、いまだ釈然としていない。老人クラブでは「恨めしく」さえ思っている。自分たちにとって最後の移民祭だ、と位置付けていたのに、疎外されたうえに「失った」という気持だ▼公的団体のリーダーたちが、就任に際し、経営理論やヴィジョンを示すのは、当然である。それが、より多くの人たちに求められているものでなければならない。あとは、着実な実行あるのみである▼次期文協役員選挙に際しては、少なくとも高齢会員が健在な間は、その人たちの気持を汲んでくれる人を選ぶようにしよう。一事が万事だ。百年祭記念式典が教えてくれた。人の名や肩書きで選ぶのは得策とはいえない。(神)

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