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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第38回=杉本篤実=(有)テクアーク代表取締役社長=地デジは日伯の新しい絆

2010年2月20日付け

 「なぜ、いま放送をデジタル化する必要があるのでしょうか」。メーカー5社の代表が2000年3月にサンパウロを訪問した時の日系家電メーカーのブラジル人担当者の発言である。米国や英国ではすでに1998年秋からデジタル放送が開始されており、放送のデジタル化は時代の趨勢と思っていた一行には驚きの一言だった。デジタル放送のもたらす高画質、高機能などのメリットを説明しても、デジタル放送は時期尚早との反応がありブラジルには高価格テレビ市場はまったく存在しないという意見が大勢を占めた。20インチ以上の大型TVが売れ始めた頃でもあり、デジタル化は商戦に余計な波風を立てると思われたようだ。
 一方、TV局や大学などの技術者たちは94年からデジタルTVの調査研究を続けており、99年10月から00年4月にかけて欧州、米国、日本の3方式の並行テストを行った。3方式を同一条件でテストする世界で初めてのものだ。ここで日本方式は優れた結果を残し、がぜん検討の俎上に載ることになった。上記の日本メーカー5社の訪問は、日本方式のTVの開発状況をチェックするためにブラジル側技術者の要請に基づくものだった。
 ここでデジタル放送技術を簡単に整理してみよう。TV番組の映像や音声を電波に乗せて送信所からTVに送ることを、何かの荷物を送り主から家庭まで届けることに例えるとする。運搬手段と荷造りについての二つの技術が選択上のポイントとなる。ケーブルTVや衛星放送に比べて地上波放送は、より悪い道路を走らねばならない車のようなもので送信環境条件が厳しい。荷物を壊さないで届けるためには車は頑丈な作りでなければならない。ブラジルはこの運搬手段の部分が優れているとして日本の技術を採用した。荷造りの部分、すなわち映像と音声をできるかぎり品質を落とさずに梱包する技術については、日本が採用した技術ではなくより進んだ後発技術を採用した。この融合の方式を日伯方式(SBTVD-T,Sistema Brasileiro de Televisao Digital- Terrestre)という。日本方式とはファミリーの関係といえよう。
 ブラジルは72年にPAL―m方式でカラーTV放送を開始した。この方式は現在でもブラジルしか使用していない。このため放送機材やTVの調達と輸入において不利益を被った。ブラジルにとってテクノロジーガラパゴス化(世界の標準からかけ離れてしまうこと)を二度と招かないことは重要な方針であり、政府を挙げて近隣南米諸国へのSBTVD―Tの採用を働きかけている。06年以降ICT(Information and Communications Technology)がGDP成長に対する寄与度が大きいことから、日本もICT国際競争力強化に取り組んでおり、その重点分野の一つとして日本の放送方式を官民一体となって売り込んでいる。
 その協調の結果、09年3月にペルーが採用を決め、その後アルゼンチン、チリ、ベネズエラが次々と採用を決めた。ペルーはこの3月にも放送開始が予定されている。中南米のすべての国がSBTVD―Tを採用することになるかもしれない。
 このように日本の技術が多くの国で使われることになったが、ブラジルにおけるTV販売では日本の家電メーカーは苦戦している。普及活動中にしばしば「日本方式が採用されたら、日本のメーカーはいくら儲かるのか」と尋ねられた。日本方式にかかわるICチップの価格は数ドルのレベルであり、受信機販売において優位に立つための材料にはならない。家電のメーカーの競争力は国際分業への対応や地域に密着した物作りに求められ、方式採用競争の勝利がすぐにTV受信機販売競争の勝利に結びつくわけでない。そこで、日本のプレゼンス向上を期待して、「優れた日本方式を使ってもらいたい。放送は国の重要なインフラであり、日本方式の採用が日本との技術や文化の交流に発展するのではないか」と答えたが、これが正直な気持ちだった。特にブラジルについては新たな絆を築きたいとの思いもあった。
 ブラジルが日本方式を採用したことの最も大きな要因は、あらためて言うまでもなく他の2方式に比べて技術的に優れていたことと、ブラジルが技術を優先的に考慮したことにあるが、背景に『ジャポネス・ガランチード』が間違いなくあろう。日系移民がえいえいとして築いてきたこの評価が、日本人とその技術への信頼と採用に結びついたと思う。
 現在の日本は一向に閉塞感から抜け出せない状況にある。中長期的視点で最も重要な課題は少子高齢化であり、外国人労働者の受け入れや若者に主導権を与える場を作ることが活性化のために必要だろう。地デジによって日伯の絆はより強くなった。遠くて近い国ブラジルとの結束はこの活性化のポイントになると信じる。14年FIFAワールドカップや16年オリンピックでは、大多数のブラジルの人々が迫力のある大画面でゲームを楽しむことを期待している。

杉本篤実(すぎもと・あつみ)

 1964年NEC入社。デジタルスタジオ機器の開発に従事。98~2007年、年地上デジタル放送の日本方式の海外普及を図る組織DiBEG(Digital Broadcasting Experts Group)の初代議長やコンサルタントとしてブラジルを初めとする諸外国に日本方式を紹介。06年より現職。ブラジルの日本方式採用に貢献したとして08年電波功績賞総務大臣賞を受賞。映像情報メディア学会フェロー。68歳。

※この寄稿は(社)日本ブラジル中央協会の協力により実現しました。

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