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『千の風に』歌って追悼=元援協事務局長小畑博昭さんを=記念集会に250人

ニッケイ新聞 2010年6月30日付け

 5月18日に急逝したサンパウロ日伯援護協会の元事務局長、小畑博昭さん(享年80、宮城県出身)の娘アンナさんが「父が好きだった歌です」と紹介し、留学生OB会が透き通るような声で、「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」(『千の風になって』)と歌うと、会場にはすすり泣きする声があちこちから聞こえ、終わると同時に天国まで届きそうな大きな拍手が沸いた。これは、20日午後、援協福祉センター講堂で行われた小畑さんを追悼する記念集会の一コマ。W杯ブラジル戦の直前にも関わらず約250人が集まり静かに祈りを捧げた。

 小畑さんは61年から援協に務めはじめて66年から事務局長に就任、退職する96年までの30年間、日伯友好病院、やすらぎホーム、サントス厚生ホーム、スザノ・イペランジア・ホームなどの傘下主要施設の創設に関わり、老人ブラブ連合会の創立発展にも貢献してきた一人だ。
 当日は、ホザナ福音伝道団ジャバクアラ教会が主催し、斉藤斉(ひとし)牧師が司会した。自らも牧師の援協の森口イナシオ会長は、移民90周年を記念して98年に刊行された、新しく信仰を得た人の体験集『新しい命の希望』の中に発表された、小畑さんの一文を読み上げた。
 「こちらに移住する直前、青年だった私は日本で洗礼を受けたものの、神様のことはあまり考えていませんでした。福祉の仕事に40年間従事してきた私も、今ようやく、人は物質やお金あるいは社会福祉では救われないことが分かりました」と告白している。
 小畑さんが通った教会の黒木常男牧師がマイクを握り、「90年頃から今年の3月までほぼ毎週欠かさずに通われた」などと信仰生活を偲んだ。
 続いて長男のエミリオさんや娘のアンナさんが来場者にお礼の言葉をのべ、冒頭の『千の風』を最後に散会した。
 85年当時、茨城県人会会長だった中林昌夫さん(87、茨城)が県人訪日団を連れて行くとき、「何かあったときのために」と日本で医者をしている兄弟を紹介するなどの世話をしてくれた。「実に立派な態度で対応してくれたのが今でも心に残っている」と目を細める。
 親戚にあたる道元敏夫さん(どうげん、78、山口)は「小畑さんとはいろんなことを議論してよくケンカした。わしゃ学問はないが、口だけは達者だから。小畑さんは角の立たん言い方をする人だった。やっぱり悲しいよ・・・」と真っ赤な目をして言う。「いきなり後ろからピストルで撃たれたってね」と思い出す。小畑さんは67年9月27日、援協に相談に来た若者にいきなり後ろから3発撃たれ、1発は場所の関係で死ぬまで取ることができなかった。
 この追悼式のために来伯した宮城登志子さん(64、沖縄在住)は、「いろいろ世話になったが、一言も自慢話を聞いたことがなかった。今日初めて、経歴を聞いて、感動が新たになった。少しでも彼の生き方を見習いたい」と襟を正した。

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