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日本語教育リレーエッセイ=第4回=日本語が開いた扉=岡村エジナ明美

ニッケイ新聞 2010年11月6日付け

 はじめまして、日系三世の岡村エジナ明美と申します。
 現在愛知県名古屋市在住で9歳の娘がいます。子育てをしながら在名古屋ブラジル総領事館で仕事をしています。私がここまでたどりついたのはジアデーマ天理学園で5歳の時から学んだ日本語と日本文化がきっかけでした。
 家族や周りの環境は殆どポルトガル語だったため、日本語を使う機会がほとんどありませんでした。それで唯一日本語と日本文化に触れ合うことが出来たのは日本語学校で過ごす毎日でした。そして、徐々に日本語学校で学んだ日本文化が自然と家の中に浸透して来ました。
 例えば、食前や食後に「いただきます」や「ごちそうさま」、家を出るときや帰宅のときに「いってきます」や「ただいま」などが習慣になり、又、日本語学校の友達のお父さんやお母さんと会うときに日本語で挨拶することも習慣になって来ました。
 そして、分からない漢字や言葉があるときには漢和辞典や国語辞典で調べることも覚えました。しかし、ブラジルでは日本の書籍が高かったため、母や兄弟と内職をしたお金で初めての国語辞典を購入しました。その国語辞典を大学まで黄色くなるまで大事に使っていました。
 大学3年生のとき文部省の奨学金で慶応義塾大学に留学することが出来ました。大学の先生にとても誉めて頂いたことは、私が他の外国人の中で日本語の発音とイントネーションがよく出来ていたということでした。家では全く日本語を使っていなかったのに、どうやって発音とイントネーションが上手だと言って貰えるようになったのかと考えてみると、その答えは、日本語学校で毎年参加していた「お話大会」でした。
 このお話大会ではまず「自分の考えを作文として日本語でまとめる」つまり書く力を身につけ、「その作文をみんなの前で発表する」つまり日本語の正確な発音とイントネーションをここで身につけました。日本語学校の先生はその点に厳しく教えていただいたおかげで現在の私の仕事にも非常に役立っています。
 日本語学校でも先生は日本語能力試験の勉強にも力を入れていました。私は4級から試験を受けてブラジルでは2級まで合格しました。日本でも能力試験1級に合格出来るように勉強し続けました。ただ日本語を学ぶだけではなく、何かの目的をもって学ぶことが大切だと思います。
 大学を卒業してから「語学指導等を行う外国青年招致事業」で国際交流員として3年間石川県で勤めました。日本語を通じて小学校や公民館等でブラジルの紹介をしたり、県の人達にポルトガル語を教えたり、日本とブラジルの関係する翻訳をしたりして、非常に幅広い架け橋の仕事を経験しました。子供の頃から学んだ日本語が様々な扉を開き私の夢を実現しています。
 日本語学校は私の2番目の家庭のようで、日本語の基礎を学んだあの日が日本の故郷のように思い出される今日この頃です。

岡村エジナ明美(おかむら エジナ あけみ)

 1972年生まれ。名古屋市在住。サンパウロ総合大学(USP)文学部日本語・ポルトガル語学科在学中の93年から1年間慶応義塾大学に留学。96年USP卒業後、97年から2000年まで「語学指導等を行う外国青年招致事業」で石川県国際交流協会勤務。02年から愛知県立小牧高校外国人生徒教育支援員、愛知県国際交流協会嘱託員を経て07年から在名古屋ブラジル総領事館勤務。

写真=名城公園で岡村さん親子

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