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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年3月30日付け

 一見すると日露戦争とブラジルには何の関係もなさそうだが、実は不思議な繋がりがある。例えばウクライナと日本の関連だ▼ロシアと欧州の境界に位置したウクライナは数々の戦争の舞台になった。不凍港を求めて南下政策を執るロシアは、列強諸国がベルリン条約を締結したことで欧州側での南進が不可能となり、矛先を極東に向けた結果、日露戦争となった。その敗北を受けて矛先を再び欧州に戻したところでロシア革命、第一次大戦に突入し、ウクライナは激動の戦火に焼かれ続けた▼日露戦争をはさんだ1895年から20年代までの間だけで5万人がブラジル南部へ移住し、現在では中南米最大のウクライナ系集住地(約100万人)となった。その典型がパラナ州南部プルデントーポリス市で、5万人弱の市民のうち8割がウクライナ系という当国最大の集団地だ▼日本移民も日露戦争直後に笠戸丸が出港し、第一次大戦、関東大震災、昭和大恐慌に押し出されて26年から35年までの10年間に全移民の過半数、13万人余が渡航して〃移民の団塊世代〃を形成した。この世代が持ち込んだ明治気質が二世に伝わり、現在のコロニア気風を形成。世界最大の当地日系社会の1割はパラナ州北部に住む▼つまりウクライナ移民と日本移民には、ブラジルに来た理由が日露戦争前後のロシアを軸とする国際情勢との共通点がある。ロシアを挟んで東か西かの問題であって歴史的〃双子〃のような存在だ▼そして今回の大震災で残念なことに原発事故にも共通点が生まれてしまった。ウクライナ人はチェルノブイリ原発事故でブラジルに移住を再開した。日本がそうならないことを切に願う。(深)

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