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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年6月13日付け

 戦前移民と戦後移民の最大の違いは何だろうか——。戦前移民の多くは錦衣帰国の夢を抱いて、数年間のつもりで渡伯した。帰国を前提にした戦前移民は日本人中心の植民地を作り、日本語中心の生活をした。日本人同志が助け合う組織として日本人会、文化協会、農協を作り、それが集まってコロニアとなった。だからこそ日本語や日本文化が子孫に残った。帰りたかったが大戦勃発で不可能となり、この地に骨を埋める選択をせざるを得なかった。だから戦前派の文芸作品には郷愁色が強い▼戦後移民は自ら選んでブラジルに渡り、最初から永住志向が強かった。戦前との決定的な違いは「帰ろうと思った人は帰れた」ことだろう。どこの同船者会で聞いても「同船者の半分は日本に帰った」と口をそろえる▼当地に向いてないと自覚した移住者はとっくに帰っており、こっちの方が良いと積極的に思える者、日本に帰る条件がない者が当地に残る循環が働いた。だから戦後派の文芸は郷愁色が薄く、ブラジル社会への前向きな態度が特徴となった▼イタイプーダムの〃8人の侍〃のような戦後技術移民は、最初からブラジル社会で活躍することを目指して溶け込み、地歩を築いた。どちらが良い悪いということではない。ただ、両者の発想は根本から違う▼最初の戦後移住、第1回アマゾン移民54人がサントス丸で神戸港を出港したのは52年12月28日だった。到着こそ翌年2月だが、戦後移住開始という意味では、今年が60周年ともいえる。事実、力行会の〃軍艦組〃は52年到着だ。来年60周年を祝うのなら、今からしっかりと準備をして欲しいものだ。(深)

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