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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第123回

ニッケイ新聞 2013年7月25日

 そんな交渉をしている横のテーブルで中野が、A3の封筒から結婚式の写真のような表紙のついたアルバム三枚を取り出し、児玉に差し出した。中野は子供の頃、北海道から移住してきた一世で、ブラジル全土を広告取りに飛び回っていた。
「何ですか、これ?」児玉が聞いた。
 しかし、中野はそれには答えずに、エスペット・ミストとビールを二つ注文した。エスペット・ミストは牛肉、鶏、豚肉の三種類の肉料理とご飯の付いた定食だ。
 ビールが運ばれてくると、中野は半分ほど飲み、喉を潤すと言った。バールの外には雨季の到来を思わせる強い日差しが降り注いでいる。
「見てみなさい」
 児玉もビールを飲みながら一つ目の写真を開いた。写真館で撮影された写真がA4サイズに引き伸ばされていた。胸の谷間を誇張するかのような真っ赤なドレスを着た女性がほほ笑んでいる。
「誰ですか、この女性は?」
「この女性はロンドリーナ出身の三世で、お父さんはパラナ州でコーヒー農場を経営していて、日系人の中では五本の指に入る大農場主だ。その長女で名前はパトリシア、年齢は二十二歳、で、どう思う」
 児玉はどう答えていいのかわからなかった。
「器量はまあ十人並みだが、この子は性格がいいんだがなあ……」
「それでパトリシアを取材して、人欄で記事を書けということですか」児玉は訝る思いを引きずりながら聞いた。
 広告営業部の依頼で、記事を書き、その引き換えに広告を掲載するというスポンサーもいた。
「いや、今回はそういうことではなくて、見合いをしてみる気はないかと思ってさ。パトリシアのご両親に日本の大学を卒業したばかりの記者がいることを話したら、ぜひ紹介してほしいと頼まれたんだ」
 ようやく中野の真意が理解できた。戦前生まれの二世の中には、日系人同士で結婚をさせたいと思っている者も少なからずいた。パトリシアの親もそうした二世なのだろう。中野は児玉とパトリシアに見合いをさせたいのだ。
 児玉は写真を戻した。児玉が気に入らないと思ったのか、中野は他の二枚の写真をテーブルに広げた。同じようなアングルで胸の開いたドレスを着ていた。
「こっちはルシアーナでサンパウロ州立大学に通う才媛で、ベベドールで最大のオレンジ農園を経営している。もう一人は……」
 児玉は中野の説明を遮って言った。
「私はいずれ日本に戻りますが、この方たちにはそういったことは理解していただいているのでしょうか」
 児玉の永住査証は主幹の前山がわざわざ来日し、領事と直接交渉し発給してもらったもので、いずれは帰国し、支局運営にあたることは社内的にも伏せられていた。
「エッ、児玉君は日本に帰るのか。君は移民ではないのか」
「移民ですが、支局要員としてサンパウロに来ました」
 二、三年で日本に戻ることを知れば、中野も見合いを進めてはこないだろうと思った。案の定、中野は驚いた様子で写真を元の封筒にしまった。
 児玉は飛行機でブラジルに移住してきたが、その数年前までは船が移民を運んでいた。日系人にとっても日本ははるか遠い国で、いくら経済的に成功したとはいえ簡単に旅行できる国ではなかった。パウリスタ新聞にも何十年ぶりに日本の故郷を訪ねることのできた老移民のニュースが記事になった。そんな日本へ娘を嫁がせたいと思う親はいない。
「児玉君、ブラジルに骨を埋める気になったら言ってよ、君にふさわしい人を紹介するよ」
 中野はこう言うとビールを飲みほし、運ばれてきたランチを食べ始めた。
 一緒に食事をしながら、児玉は改めてブラジルと日本の距離を痛感させられた。しかし、中野が見合い相手を紹介してくれたということは、記事も書かずに毎晩飲み歩いているという風評は少し治まったのだろう。(つづく)


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