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ミナス州議会=白浜さんにコメンダドール顕彰=「アグロ・マキナス」を創業=農業指導の貢献評価され

ニッケイ新聞 2013年11月14日

写真=賞状を手にする白浜さんと妻・輝子さん










 コチア青年の2次6回で来伯し、ミナス・ジェライス州カンブイで農事関連会社「アグロ・マキナス・ミナス・ジェライス」を創業した白浜清俊エドアルドさん(74、熊本)が、同地での農業発展に寄与したとして7日、州議会から「コメンダドール」(Ordem do Merito Legislativo do Estado de Minas Gerais)の顕彰を受けた。同州都ベロオリゾンテのエキスポ・ミナスで行われた授与式には、アントニオ・アナスタシア州知事はじめ多くの要人が出席した。栄誉に輝いた白浜さんは「今の自分があるのは先人のおかげ。これから自分も下の世代に経験を還元していきたい」と受賞の喜びを語った。

 「オイ、エドアルド! 元気かい?」「うちの蘭も持っていってくれよ」——。カンブイの街を白浜さんと歩くと、多くのブラジル人に声を掛けられる。その度に日焼けした黒い顔を崩し、「この街の農業者は皆教え子だから」と照れ笑いを浮かべる。
 1939年、熊本県八代市の農家に生まれた。長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校を卒業し、地元に戻った20歳の時、ブラジル移住を決めた。満蒙開拓移民が多い土地柄だけに、自然に目線は海外に向いていた。
 「四男だったし、どこかの養子に出される。一生うだつの上がらない生活だけは嫌だった」と当時を振り返る。
 父を筆頭とした家族の大反対も「行けば何とかなる」と押し切り、神戸港からぶらじる丸に乗り、1960年3月にサントスへ降り立った。4年間、サンパウロ州ブラガンサ・パウリスタのバタタ農園で働いた後、大学校時代の専門だった種芋作りに専念するため、栽培に適した標高の高い土地を求め、同船者だった友人らとカンブイに移り住んだ。トラクターもなく、未開地を手作業で耕した。
 当初は米がほぼ手に入らず、昼食の中心はファリンニャ。「そのまま食べると胃が焼ける」と砂糖とコーヒー、牛乳を混ぜてかき込んでいた。事業が軌道に乗り始めたのは入植2年目の66年頃。妻・輝子さんと結婚し、69年にトラクターの修繕を請け負う会社として「アグロ・マキナス」を創業した。種芋づくりと並行して、農機具など輸入製品の卸売り事業を拡大させた。
 農機具販売促進の一環で行った農事指導は、農業技術を必要としていた同地農業者にとって天恵となった。目立った生産物のなかった土地を、イチゴやバタタの生産地に変貌させる一翼を担った。冒頭の「教え子」という言葉はそれゆえだ。これら貢献が評価され1986年には名誉市民として認定されており、長年に渡る働きが今回の州議会顕彰につながった。


 農業資材販売に加え=苗栽培、肉牛飼育も

写真=アグロ・マキナスの外観








 「アグロ・マキナス」はカンブイ市中心街に居を構える。従業員8人、資本金2万ドル(約4万レアル)の農機具等の卸売り会社。扱う製品は散水機などの機械類から肥料、輸入した種芋など多岐に渡り、実質的な経営は約10年前から長女の晴美さんが担う。
 関連事業として、晴美さんの夫フェルナンドさんを中心としたレタス、ミニトマトなどの苗栽培も展開しており、主要産品のブロッコリーの苗は年間100ヘクタール分を出荷する。同市郊外には、白浜さんが「日本にいる時からの夢だった」という肉牛の飼育場を所持。常時約350頭を飼育している。

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