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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=50

 「私達は夫だけで助かったわね、いろいろ夫にあっても我慢できたわよね」と美紀子は言った。
 農作業の疲れと痛めた体に、精神まで傷め付けられる仕打ちが加われば、耐えられないことは容易に理解できる。自分の意志で来たとは言え、わざわざ日本から嫁が欲しいという家に花嫁移民は縁があって来たのである。
 「嫁に貰ってやった」と姑や小姑にイビラレルことは変な話であるが、初期に移民した人の感覚は、その姑自身がむかし姑にイビラレタから嫁をイビルのは普通であり当たり前なのだというのか。
 両親と姉妹のいる夫に嫁入りした花嫁達が実権を握った現在、この姑にエゲツない仕打ちをされ苦労をした結果、その姑や小姑を許せないと怨んでいる。それほどの辛さを与えていたことを聞けば、「嫁に来てもらった」という感謝の気持ちは、その人達には皆無だったと想像できる。また十九歳で来た親しい花嫁は、
 「私だってそうよ、一三人も姉、弟のいる家に花嫁で来て、なんにも知らない小娘の私はイビラレ続けてそりゃ辛かったわ。あの頃に可愛がってもらい、今も親か姉妹のように、親しくしている人の家に、百五十キロ車を走らせて訪問するけれど、私の舅、姑は他界していないので、その同じ通りに住んでいる小姑たちに見付からないようにと願いながら行くのよ。嫁入りして同居していたころ夫が優しい人で、それで救われていたけれど、その夫ももう亡くなったから、あの家族とは縁が切れていいのよ」と言う。
 「あなた、あのころの姑はNHKのテレビ小説、おしんのソーグラ(姑)みたいな姑ばかりだったのよね」と美紀子が言うと、
 「いいえ、山の中の生活では、嫁イビリはストレス解消だったかもよ。今のようにテレビもないし、ましてやNHKなんか無いしね」と傍にいる六十代半ばの女性が言った。
 「そうね、田舎にいくと息子や娘が合計十二、三人なんて普通だったわね。アレもテレビが無かったせいだったかもね」ともう一人が混ぜっ返した。七十歳を過ぎ八十歳近くなっても、花嫁移民と言われる私たちのある日の会話である。

第十三章 同船者広中和子の場合  

 サントスで下船した花嫁の中に、兵庫県西宮市出身の広中和子がいる。彼女とは、毎週土曜のある会合に出席するときに地下鉄ジャバクアラ駅の改札口で待ち合わせて、メトロで移動中の二十数分間に、おしゃべりするのが楽しみで別々に行ってもよいものを、どうと言うこともないのに普段会っていないから、こうして会うことで、ある種のノスタルジーを満足させていたように思うのは、同船者であったという付き合いから生まれるものだろう。 
 ブラジル丸で渡航中の彼女の事について、私にまるで印象がないのは、移民としての渡航ではなく旅行者として彼女が乗船していたためと思われる。移民は一応まとまって船室を当てがわれていたが、彼女の場合は他の一般旅行者たちと一緒の船室だったと言う。いま聞けば、
 「日本政府の旅費を受けられなかったのよ、夫になる人が二世だったからね。ブラジル人だからなの。旅費は大阪にいる夫の叔母が往復分を払ってくれて、ダメだったら結婚を嫌と考えたら帰れるようにしてくれていたんやけどね」などと話しはじめると、四十年前から現在にいたるまでを、
 「若かったからね…来たんやね…日本に居たらどんなことになってたやろか?」

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