ホーム | 文芸 | 連載小説 | 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香 | 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=66

花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=66

 このK・Tさんは、彼女たち花嫁移民の母と呼ばれる小南ミヨ子著「海外に飛び立つ花嫁たち」の中で紹介されている。昭和五四年七月に移住した「国際女子研修センターの第九回生」である。ブラジルへ旅立つ矢先に住所変更を知らせるK子の手紙を受け取った小南ミヨ子女史は、「K・Tさんのことが気になり、ぜひ会いたいと思って宿泊したホテルに来ていただきました」とブラジルへ視察にきた時の様子を書いている。センターで研修をしたK・Tを見て、小南ミヨ子氏には気になる何かがあったのであろう。あらためて取材をした私に、K・Tは長い手紙で、
 「なぜブラジルに来たかなんて一口では言えません。しいて言えば若気の至りならぬバカ気の至りと言う事でしょうか。父は専売公社に勤め、母は祖父のやっていた履物屋を手伝っていたので、私は農業経験がなかったせいか、庭に鶏がいる風景に憧れていました。
 小南先生へ申し仕込みをしてありましたので、来日したTを紹介され、入籍するまで三ケ月でした。Tは三十六歳という事もあり、ぜひとも結婚話をまとめたかったでしょうし、そして私は二十六歳で、相手が普通の人ならと思っていました。紹介された時のTとの会話をいま思いだすと、若かった私の勘違いが多かったのですよ。ブラジルに行けば、世界旅行をしなくても各国の食べ物が好きに食べられると思い、Tに質問したのですが、関係の無い答えが返ってきたのですよ。私の話を聞いていなかっただけなのに、その無関係な答さえ、頭脳の良さに思えたのですから。ブラジルは移民の国だから、各国のレストランがあるという事実を言ったまでと、夫になったTは言います。まあ、主人も私に対して勘違いしていたと思うので、お互いさまとは思っていますが」
 「ブラジルに来た当初は、サンパウロ市から車で一時間半ほど離れた町カンピーナス市にいました。先に結婚していた義弟が養鶏場をやっていて、義父も義母も元気に手伝っていましたが、一年足らずで、鶏糞を利用しコーヒーを植えようと、私たちは南ミナスの農場に移りました。それまで牛の放牧されていた丘を耕してコーヒーの苗木を植えました。実がなるまで、三年から四年はかかり、それまでの間はコーヒーの苗木の間に米やトウモロコシを作り、ほかにも地鶏を飼いました。卵の黄身のあまりに美しいオレンジ色に驚いたりしました。驚くといえば、ガラガラ蛇が鶏小屋にトグロを巻いていた事もありました。この頃は、希望に燃えていて農業を辛いとは思いませんでしたね。子供達がまだ小さく、それなりに忙しい日々を送っていました」
 この時期に、Kさんの慕う小南ミヨ子女史が訪ねたことが窺える。
 「一番上の子が七歳だった時、四人目ではじめて女の子を授かりましたが、二ケ月で亡くし、主人は欝病になりました。こんな所に居たくないと言う主人に、反対すればするほど、その病気が重くなるようで、農場は義弟が続けてくれることになり、カンピーナス市に戻ることに決めました」

 私が姉妹のように付き合っている近所の山田美紀子は、三歳の娘を亡くしたとき、悲しみのために体調を崩し、三年間鬱病だったが、T家の場合は、産後間もない母親のKさんではなく、その父親が鬱病になったと言う。Kさんの身長は一六五センチ位あろうと思うが、ご主人も一七〇センチ以上はある体格の良い男性である。頼もしそうな体と病気は関係ないが、この男性を頼りに嫁いで来て生きているKさんにとってみれば、どうにもしようもなく遣り切れなかったと思う。

image_print

こちらの記事もどうぞ