ホーム | 日系社会ニュース | 東京支社=藤崎康夫さん名誉支社長に=40年間も日本から発信=クォンタム 輿石氏が後任に
「移民史は日本近代史に欠かせない重要な部分」と語る藤崎さん
「移民史は日本近代史に欠かせない重要な部分」と語る藤崎さん

東京支社=藤崎康夫さん名誉支社長に=40年間も日本から発信=クォンタム 輿石氏が後任に

 パウリスタ新聞東京支社を創立し、ニッケイ新聞に合併した後も計40年に渡って支社長を務めて来た藤崎康夫さん(78、熊本)=東京都在住=が、昨年末をもって名誉支社長になった。
 藤崎さんは1936年に東京で生まれて朝鮮で育ち、終戦直前に親の郷里熊本に帰国した。「隣町に上塚周平の生家があり、子どもの頃から日常的に彼の話が出ていた。僕らの頃は上塚司の方に強い印象が残っている。熊本からは外国に出ていく気風が強かった。だからブラジル移民は近い存在」と振りかえる。
 熊本大学卒業後、長崎などで中学教師、上京して夜間学校等の教師を勤める中で、生徒に多くいた朝鮮引揚者と接する中で残留者に興味を持ち取材を始めた。次第に海外日本人に関心が広まり、最後の船舶移民となった客船「にっぽん丸」を73年に同乗取材した。
 その時レシフェから乗り込んできた当時パ紙記者だった尾和儀三郎さん(現南米通信代表)と知り合い、その縁で74年に東京支社を開設した。その時の取材内容は『陛下は生きておられた』(74年、新人物往来社)や『サントス第十四埠頭』(76年、中央公論社)に結実した。
 「日本から若い記者を呼ぶことと、ブラジル日本人名事典の出版への協力を話し合った」。実際に高橋幸春さんを紹介し75年から2年間、編集部で働いた。その経験をもとに高橋さんは勝ち負け紛争を軸にした移民史『蒼氓(そうぼう)の大地』で第13回講談社ノンフィクション大賞(91年)を受賞した。
 藤崎さんは83年頃から日本の新聞をファックスで本社に送る業務を始め、インターネットが普及する95年頃まで続ける。伯国側にとっては貴重な速報だった。また日本国内の日系人関連の記事を本社に発信した。
 この80年代に吉田尚則専務(当時)と藤崎東京支局長は日本の地方紙を回って業務提携を持ちかけ、『北海道新聞』『秋田魁』『信濃毎日新聞』『神戸新聞』『中国新聞』『西日本新聞』『沖縄タイムス』などと提携を行った。
 90年から大学生や若い社会人を記者研修として毎年1、2人を本社に送り続けている。95年の日伯修好百周年の機に『日本ブラジル交流人名事典』(五月書房、96年)も出版した。
 「大本営発表の勝った、勝ったという報道に騙された苦い記憶が幼い頃にある。本当に歴史を書き残さなくてはと強く思うようになった」と考え5回も訪伯し、移民関係を中心に約30冊もの著書を出版してきた。
 藤崎さんに代わって支社長に昇格したのは、支社長代理だった輿石信男さん(株式会社クォンタム社長)。企業進出のコンサルティング業務などを20年来手がけているブラジル通で、昨年から本紙6面で週一回、「日伯コンサル奮闘日記」を連載中だ。

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