ホーム | 日系社会ニュース | 先亡者に思い馳せ107周年=教会や慰霊碑前で式典=「50年前から毎年ミサに」
一斉に読経する僧侶ら
一斉に読経する僧侶ら

先亡者に思い馳せ107周年=教会や慰霊碑前で式典=「50年前から毎年ミサに」

 笠戸丸の着伯から107年が経過した18日、例年通り「日本移民の日」を記念した各種慰霊式典が開催された。サンパウロ市では午前中、ジョン・メンデス広場のサンゴンサーロ教会で「先駆者慰霊ミサ」、イビラプエラ公園内先没者慰霊碑前で「追悼法要」が執り行われた。午後からは文協の大講堂で仏式法要が行われ、焼香の列が長く並んだ。


 午前8時からのミサでは今年もアレッシオ・ブロエリング神父が司祭し、日ポ両語で進行された。7曲の賛美歌が教会内に響き渡り、参加者は静かに祈りを捧げた。
 ブラジル日本文化福祉協会の呉屋春美会長、サンパウロ日伯援護協会の菊地義治会長、日本ブラジル都道府県連合会の本橋幹久会長、在聖総領事館の飯田茂領事部長ら約90人が参加した。来賓らが登壇し、開拓先亡者を偲ぶと共に平和を願うメッセージを発した。
 5歳で移住した東マリーナさん(85、東京)は「先人を偲ぶ機会と捉え、50年ほど前から毎年ミサに来ている。日本人移住者だけでなく、全ての人の尊い命に敬意を込めて祈った」と話した。初めて訪れたという60代の二世の女性は「過去に思いを馳せる良い機会となった」と故人を偲んだ。
 午前10時半から県連とブラジル仏教連合会(尾畑文正会長)共催の『日本移民開拓先没者慰霊祭』がイブラプエラ公園内で執り行われた。
 中前隆博在聖総領事、JICAサンパウロ市出張所の那須隆一所長、県連の本橋会長ほか各県人会長ら約110人の参加者が集まった。37都道府県分の過去張が集まり、慰霊碑に納められた。
 代表者挨拶で本橋会長は、「今年の県連ふるさと巡りの法要で納めた過去帳には多くの子供の名前が連なっていた。ブラジルの土となった先人たちがいた上で、我々が生きていることを忘れてはならない」と語った。
 中前総領事は「現在の友好的な日伯関係に移住者たちは多大な貢献をしている。私も両国の結びつきをさらに強くするような活動をしていく」と決意を新たに話した。
 導師代表を尾畑氏(東本願寺)が務め、仏連の代表7人が経を読み上げる中、一人ひとりが先亡者を思い、焼香を行った。
 午後、文協大講堂で開かれた「開拓先没者追悼法要」には約200人が出席。尾畑導師と僧侶らの読経のもと、それぞれ静かに先駆者の苦労と貢献に想いを馳せた。〃ブラジル移民の祖〃水野龍の三男・龍三郎さんも慰霊祭に続いて参拝した。
 邦楽の美和会、筝曲宮城会、尺八都山流による献楽にあわせ、茶道裏千家ブラジルセンター、ブラジル生け花協会が厳かに献花と献茶を行った。また文協、在聖総領事館、JICA、援協、県連の各代表者らも式辞と焼香を行い、先没者の冥福を祈った。
 JICAブラジル事務所の那須隆一所長は「ブラジルほど日本人が感謝と尊敬の念を集めている国は他にない。今後とも見守り頂きたい」と、新来日本人が享受する稀な恩恵に感謝を示した。

【大耳小耳】関連コラム

 昨年の移民の日にサンゴンサーロ教会で行なわれたミサで、コーラスを行なったソニア合唱団。今年も彼女らが賛美歌を披露したのだが、実は直前の14日に解散していたという。団員によれば、代表の白畑智子さんが肝臓がんで療養しているためで、この半年に3回も手術を行なったとか。創立22周年の伝統ある合唱団だが、また一つ日系のグループが姿を消してしまった…。


フォーリャ紙が120周年別冊=本紙『一粒の米』も紹介

フォーリャ紙の特集別冊

フォーリャ紙の特集別冊

 フォーリャ・デ・サンパウロ紙は18日、日伯外交120周年特集別冊「União Estável(婚姻関係)」(10頁)を刊行した。表紙には一世から五世までの末広がりの絵柄が描かれ、日伯関係という〃結婚〃から多くの子孫が生まれ繁栄している様子を示している。
 2、3頁は「新しいデカセギ」と題され、1803年にサンタカタリーナ島を通過したロシア船に乗船していた元若宮丸乗組員の話から始まり、1895年の就航通商条約締結、1908年の笠戸丸の歴史を簡略に振り返る。そして08年の金融危機以降、32万人から17万人に激減した在日ブラジル人が、今年に入って微増傾向を見せている点を強調した。執筆したファビアナ・フテマ記者本人も訪日就労の経験者だという。
 池崎商会創立者の池崎博文さん、ベストセラーとなったポ語版『武蔵』翻訳者の後藤田玲子さん、相撲選手のカミーラ・フクシマさん、大竹富江さんの孫で美術専門家ロドリゴさんらが紹介される。
 《最初の植民地は日本に米を送りたかった》との見出しで、本紙のレジストロ地方入植百周年連載をまとめた『一粒の米もし死なずば』(無明舎、14年)のポ語版が、当地で刊行予定であることも7頁目で大きく報じられた。
 さらに納豆、イカの塩辛など通向けの日本食紹介欄が続いた。

【大耳小耳】関連コラム

 フォーリャ紙の120周年別冊の最後には「手巻きを超えて」と見出しを打ち、普通のブラジル人にはハードルが高そうな日本食メニューの写真が――。イカの塩辛の上に引き割り納豆が層状に置かれ、その上に生卵の黄味がこんもり。内臓を発酵させたイカの塩辛だけでなく、外国人にはにおいがキツイと評判の納豆、さらにブラジル人は通常絶対に生では食べない卵という組み合わせは、当地では〃最もハードルの高い日本食〃かも。

image_print