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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(29)

 翌1933年、カフェー樹数は32万5、000本となっていたが、経営は創業以来の赤字から抜け出すことができないでいた。これはカフェーが生産過剰で、市況が極端に低迷していたためである。時のゼッツリオ・ヴァルガス政権は、前年、サンパウロ州に於ける新植を禁止、以後、余剰カフェーの大量廃棄・焼却に踏み切っていたが、まだ効果は出ていなかった。
 日本の本社では、南洋の事業と比較、芳しくない成績を問題視するようになった。ためにサンパウロ市に貿易会社を設立、日本との輸出入で成績を上げようとした。が、これは失敗した。
 こうした中で、唯一、明るい話があった。小麦栽培の成功である。当時ブラジルでは小麦栽培は難しく、殆ど輸入に頼っていた。そこで須永達雄という技師を中心に、新品種開発に取り組んで成功、1938年から3年間、毎年2千俵の種子を農務省に納入した。これは先方を喜ばせ、大臣が二度、視察に訪れた。その詳細は大新聞で報道され、野村農場は面目を施した。
 やはり1938年、カフェーの市況が底を打ち、翌年には採算も好転した。手入れが良かったため、模範的なカフェザールとして世評も高まっていた。野村農場は、創業十数年にして、漸く前途に光明を見ていた──。

牛草茂の苦心談

 ところが、その矢先の1941年12月、日本が米英に開戦するという大異変が発生した。ブラジルは米国側につき、日本人は敵性国民とされた。以後、野村農場は、長い暗黒の時代に入る。時の支配人は、牛草茂という人物だった。
 ここで、話は突如、それから40年後の1980年代に飛ぶが、筆者はコチア青年たちと農業雑誌を発刊、購読者確保のため走り回っていた。そこに、一人の老人が仲間入りしてきた。80歳くらいの高齢であったが、至極元気であった。
 自分で車を運転、筆者を助手席に乗せ、モジ辺りまで出かけ、行き当たりばったり日系の農家相手にセールスをするという勢いであった。これが牛草茂で、以前は農場で働く数百の職員、労務者の頂点に立った人である。この頃は引退してサンパウロ市内に住んでいた。
 牛草茂は1904(明治37)年、佐賀県に生まれ、東京帝大農学部卒後、1928年、野村合名に入社した(この野村合名は、前出の野村合名とは法的には別会社で、野村系各社のホールデング・カンパニーで事業も統括していた)。
 その後、南洋のゴム園に3年勤務、野村農場に転勤、1940年に支配人になった。
 開戦時、牛草はブラジル政府が枢軸国系の事業体を圧迫することは必至……と見た。これは翌年3月、敵性国資産凍結令となって現実のモノとなった。牛草は、それに先んじて、親しい関係にあったアルメーダ・プラードという人物に、6年間の期限で農場を借りて貰った。名称もサンコルネリオ農場と改称した。これで被害を回避しようとしたのである。
 ただ支配人が、そのまま農場に居ったのでは、当局の疑惑を招くというので、後を木村正明副支配人ら日本人社員に託して農場を去った。以後、上野米蔵の世話でカンバラーに住み、木村たちと連絡をとりながら農場を守ろうとした。1942年7月、ブラジルに在る日本の会社の日本人社員(現地採用者ではなく派遣者)は、交換船で帰国したが、牛草、木村ら幹部社員は留まった。家族も一緒だった。
 アルメーダ・プラードとの関係は、しばらくは問題なかったが、やがて変調を来たした。彼は日本軍の旗色が良い間は、資産保護を忠実に行っていた。が、旗色が悪くなると、車両類その他を、自己名義に変更するばかりか、何処かへ運んでしまうようになった。契約期限が終わった1948年、アルメーダはその更新を要求したが、牛草たちは拒否した。以後、両者の関係は悪化した。
 この争いは1952年になって、大阪の野村本家から野村康三が来伯し双方の言い分を聞き、処理することになった。この時アルメーダは、自分が野村農場のために仮払いした経費が相当額あるとし、1022コントスを要求した。が、牛草たちは、木村が苦心して作成保存していた会計書類を証拠として提示、その要求の大半を蹴った。結局427コントスで決着した。
 この間、野村農場には次々と凶事が起きていた。まず右の契約更新拒否と同時に、農場がパラナ州政府農務局の管理下に置かれた。この時点では、戦争は終わっていたが、敵性国資産凍結令は未だ生きていて、そういう措置がとられたのである。これに伴い、農務局長が指定する人間が管理人としてやってきた。その農務局長が急逝、管理人が代わった。以後、短期間で三人代わった。これが、いずれも不明朗で、いかがわしい行動が多く、農場の内外にあって、牛草と木村は心痛の極にあった。当然、それを防ぐため必死になった。

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