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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(70)

命がけの段階へ

 そして強盗。
 1980年代以降の大破局の煽りで、都市だけでなく、農業地帯でも、治安が悪化し、強盗が横行した。彼らも弁護士と同じ理由で、日系人を狙った。アサイでも大分やられた。
 2014年、セレアイス栽培をしている大内照朗さんに訊いてみた処、被害は未だ続いていた。
 「ルーラの時代が特に酷かった、2000年頃からだった。押し入って金目のモノ、その家の車に積んで奪って行く。ウン、ウチにも2、3度来たヨ。4カ月前にも来た。戸を壊そうとした。こちらから銃を撃った。向うは戸を壊せなかった。連中は逮捕されると、メノール(未成年者)がやったことにする」
 同じく、セレアイス生産者の山川精二さん談。 
「倉庫に農薬を入れておくと、盗まれる。少量ずつ買おうとしても、農薬商は一定量以上でないと売らない」
 右は、現在の事例であるが、実は1980年代から営農は命がけの段階へ入ってしまっていたのである。

カナと出稼ぎに救われる

 かくして嫌気は決定的なものになっていた。
 そうした中、1980年代──連邦政府のエタノール増産計画で──サンパウロ州全域に広まっていたカナの栽培が、北パラナにも入ってきた。エタノール生産工場、通称ウジーナも次々と建設された。
 このウジーナが、農業者から土地を借り、あるいは買って、大規模にカナを栽培し始めた。農業者にとっては、貸しておけば、賃貸料が入る。10アルケーレス程度の土地でも、最低生活なら、なんとか賄えた。売れば、まとまった額になった。
 嫌気がさした営農を、しかも儲かるかどうか判らぬまま、命懸けで続けるよりも、その方がずっと良かった。ウジーナに土地を貸したり売ったりする人々が続出した。
 すると人手が余るようになった。折から日本への出稼ぎがブームとなっていた。青壮年層は次々と日本へ去った。残った家族は市街地に転居した。強盗の被害はこちらの方が少なかった。
 農場に留まっていても、日中、何もせず、街へ出てきて、ブラブラする老人が増えた。土地の賃貸や売却による収入、出稼ぎ中の家族からの仕送りで、余裕ができた人々であった。
 判り易く言えば、日系農業者の多くは、カナと出稼ぎに救われたのである。同時に、それは、農業が日本人・日系人の最大の産業であり誇りでもあった時代の終焉を意味した。
 これまたアサイに限らず、何処でも起きたことである。
 ともあれ、カナと出稼ぎによる奇妙な経済的安定が10年、20年……と、続いた。 

が、しかし…

 その安定も、ここ5、6年前から乱調を来たしている。ウジーナ側の支払い(借地料、割賦の土地代金)が滞っているのである。実は、北パラナに限らないが、どこでもウジーナは、大半が潰れかかっている。前出の山川精二さんが、2014年5月、要旨、次の様に状況説明をしてくれた。
 「パラナ州には、ウジーナは24カ所あるが、理想的な経営状態にあるのは2カ所だけ。ただし、この2カ所は、表面上は内国企業でも、実質は外資系。他の22カ所の内、11カ所は『普通の経営状態』『赤字状態ながらも操業を続けている』のどちらか。後者の内、数カ所は経営が困難になりつつある。残る11カ所はコンコルダッタ(和議倒産)に入っている。

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