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バテリアとしてカーニバルにも参加
バテリアとしてカーニバルにも参加

日本人ドラマーISAOさん=聖市音楽大学に留学=「視覚障害に打楽器の可能性を」

 先日行われた聖市カーニバルには「モーホ・ダ・カーザ・ヴェルデ」のバテリアとして参加した日本人プロドラマーのISAO CATOさん(33、東京)の姿があった。視野障害を抱えつつも、力強く活動し、同じ障害を抱える人たちに打楽器の可能性しめそうとする同氏の姿を追った。

 渡伯のきっかけになったのは、既にフリーのプロ奏者として数々のライブに出演した2012年に日本で当地の音楽大学「ソウザ・リマ」へのオーディションを兼ねたセミナーに参加したことだった。
 「その時は偶然参加して、元々はサンバがやりたくてきたわけではない」と笑うが、見事合格。準備期間を経て、一昨年の2月から聖市に長期滞在していた。
 楽器との出会いは高校卒業間近にバンドを組むという友人に誘われたことで、そこから火が着き、20代前半にはセッションドラマーとして、プロの道を歩んでいた。
 「もっとうまくなりたいという一心で、月に70本ライブに出た頃もあった」。仕事を選ばずに忙しい日々が続く中、転機が訪れたのは27歳の時。当時の指導者の影響から米国NYに渡り、短期間セッション演奏に参加。「本番を知らずにプロとして活動していた自分が稚拙に思えた」と素直に認めるほどレベルの高さに驚いた。
 「日本だけを見ていても、結局成長は出来ない」と悟り、その後も米国、キューバ等、で演奏経験を重ねて今日に至る。「自分にしか出来ない仕事をしたい」と。
 当地に来てからは、エスコーラでの練習以外にも、あらゆる打楽器を学んだ。「ブラジルは音楽における打楽器の重要度が高く、その分レベルも高い。それも譜面が読めずに感覚で叩く人もいる。そういう〝訛り〟のアクセントを吸収できたことが大きな収穫だった」と成長を語る。
 自身が語る視野障害について、「感覚としては普通の人の5%程だと思う」と話す。先天的なものとして知らされたというが、「ここ数年で一気に狭まった感じがする。いつ視力がなくなるかもわからない」と明かす。
 2月初旬、飛び級で同校を卒業し拠点を再び日本へと移す。今後の活動として、同じ視覚に障害がある人に対して、打楽器の可能性を説くことを掲げている。
 「自分自身指先の感覚が鋭くなってきている」と語り、奏者としての利点があるのと同時に、「自分を表現できる場所を作って欲しい」という。「障害者だからと言って、保護を受けるばかりではなく、持っているエネルギーを発信していける存在であるべき」。
 日本では同じ境遇にある人に向けたワークショップやサンバ・エスコーラへの参加の提案をしていきたいという。

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