日本人リンス入植100周年記念式典が21日、同市の聖アントニオ教会前広場で行なわれた。この日はリンス市制96周年日でもあり、リンスのエドガー・デ・ソウザ市長、リンス文協の松浦秋夫会長、リンス市役所、各日系団体、日系議員、同文協関係者ら約300人が参加。同市と同文協などが共催した。間部学画伯の孫の絵画を写した石碑が除幕された。この機会に移民110周年に皇族同地ご訪問を要請する現地の声が、梅田邦夫駐伯日本国大使に伝えられた。
君が代斉唱の後、本門仏立宗大宣寺住職の斉藤法明師が読経し、来賓らが焼香を行ない、「竜火太鼓」が迫力の和太鼓を演奏した。
間部学画伯の孫・男(だん)さんの絵画をモザイクで表現した石碑と、入植百周年記念碑の除幕式が行なわれた。石碑は日の丸とコーヒーを題材に、移民が農業を中心に繁栄したことと、将来を担う日系人子孫を表現したもの。男さんは「祖父が住んでいた土地に記念碑を作ることができて光栄」と語り、自作絵画を梅田大使と中前総領事に贈呈した。
松浦会長が「日本文化の町と呼ばれるまで育ててもらったことに深く感謝する」と話すと、来賓席から拍手が起こった。リンス西本願寺の安永和教総代も「一世のご苦労の上に私たちの繁栄がある。そのことを次世代へも伝えていかなければ」と真剣な表情で話した。
梅田大使は、日本人が多大な努力をし、現在日系人が根付いていることの素晴らしさを述べた。エドガー市長は「日本人がリンスのために文化的な面でも大いに貢献してきた」と感謝を表し、大使、中前隆博在聖総領事らに記念品を手渡した。
間部画伯の息子で建築家の健さんは今回、モザイク石碑の設計を担当した。5歳まで同市に住んでいたと言い、「入植から100年を迎えたのはとても嬉しいこと」と感想を述べた。リンス出身の森本ミヤ子さん(77、二世)は「一世紀の節目は本当に嬉しい」と笑顔で答えた。
その後、梅田大使はプロミッソンの上塚墓地を訪問。「移民の父・上塚周平の墓守」と呼ばれる安永忠邦さんから説明を受け、神妙な面持ちで手を合わせた。
続いて上塚公園へ移動した大使は、アミルトン・フォス市長から歓迎を受けた。先没者を祀る光明観音堂の前でプロミッソン日伯文化体育協会の岡地建宣会長、ノロエステ連合の白石一資名誉会長があいさつした。
梅田大使は「上塚墓地が大切にされていることに感銘を受けた」と言い、移民110周年について「2018年にはぜひ皇族の方に、この地に来ていただきたいと東京に伝えます」と約束の言葉を述べた。
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上塚公園を訪れた梅田大使は、安倍総理から「日系社会との連携強化に全力を尽くせ」と命じられていると話した。「移民の父」上塚周平の出身地は熊本県の旧下益城郡で、今回の熊本地震で震度7を記録した場所にも近い。またリンスもプロミッソンも同県の出身者は多い。皇族が来られれば、故郷の震災で心を痛めている当地の日系人も勇気をもらえるだろう。ぜひ梅田大使の申し出が受理され、三笠宮殿下ご夫妻以来、60年ぶりの皇族ご訪問が実現してほしいところ。