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ニッケイ俳壇(903)=富重久子 選

ヴァルゼン・グランデ 馬場園かね

北の人故里語るカジューの雨

【この大都のサンパウロにも二ヶ月あまりの乾季が続いたが、ここ二三日静かな雨があった。仕事場の窓から「ああ!これがカジューの雨であろうか」と暫く墓所の木々を濡らす静かな雨を眺めている。
 「カジューの雨」は、カジューの花の咲く頃に降りそれを土着民が「シューバ・デ・カジュー」と呼び、野良仕事の支度を始めたという。素朴な土民の詩情を感じさせるほほえましい季語とも言うべきか、とある。
 窓から眺める静かな雨であっても「カジューの雨」の趣は感じられないが、昔からこの季語の好きな私である。
 この句、「北の人」という物語の中に「カジューの雨」という季語の、深く感じられる秀句である】

父の忌や一鉢えらぶ桜草

【「桜草」はこうして鉢物にされると、野に咲く桜草とは趣をことにするが、桜草は大体野の花で、春たけなわに丘の野一面に咲き誇る花である。父の忌や夫の忌日などには、この句の様に優しい香りも色も素直なそんな花を、供えるのは如何してであろう。
 心和まされる佳句で、巻頭俳句として推奨させていただいた】

摘み草や通りすがりに摘む人も
今更に叔父の若さを終戦日
境界の争ひよそにサビア来し

アチバイア   宮原 育子

十二歳玉音聞きし終戦日

【天皇様の「玉音」を聞いた日、それは十二歳の時であったとの一句。作者は六年生頃であろうか。あの日は朝から「天皇のお言葉があるので、ラジオは切らないで下さい」という知らせがあった。私は十八歳であの日のことはよく覚えている。
 十二歳の貴重な思い出の佳句である】

子猫早やペルシャの誇尾を立てて
春を待つ杖新しく買ひ換へて
口ずさむ「白いブランコ」春夕べ

コチア   森川 玲子

聖堂の時告げる鐘つばめ飛ぶ

【早朝まだ車のあまり通らない時、たまに屋上に上がって深呼吸をしていると、下方の教会から時間を告げる鐘がかなりはっきり聞こえることがある。冬の寒い間は見慣れぬ燕もプールの柵に番が来て憩うていたりする、楽しいひと時である。
 下五の「つばめ飛ぶ」でしっかりと引き締めた佳句であった】

フルートの音色にそよぐ柳の葉
雨だれは和音のリズム春時雨
山よりの春風ときに木の香り

ソロカバ   前田 昌弘

父の日や颯と来颯と去りし子等

【父の日に「颯と来颯と去りし子等」とは面白い俳句であった。きっと子供さん方もそれぞれ遠くに住み、他のグループとの集まりもあり、ゆっくり出来なかったのであろう。忘れてくれないだけでも有難いこと、この頃の時勢である。
 この作者らしいユーモアを交えた、珍しい佳句である】

イパネマの運河の水も温みたる
水不足騒がれつつも水温む
蜂鳥の尾の割れゐるを君知るや

サンパウロ  日野  隆

霜柱陽にキラキラと消え失せぬ

【今年はサンパウロ市の近郊でも霜が降りたということを聞いているが、案外何時までも寒さが続いている。
 「霜柱」は地中の水分が凍って、細い氷柱のようになるが、ブラジルでは一度も見たことがない。
 そんなか細い氷柱も太陽にあたると、瞬く間に解けてしまう。その様子を一句にした作者であるが、陽にキラキラとかがやくときはとても美しいという佳句であった】

黄金の稲穂の先を風なでる
秋風に散りし葉をもて芋を焼く
そよ風に芒の穂先揺れやまず

イツー    関山 玲子

寒波来る鬼が来るかに身構へて

【ひと年取るとこんなに寒さが応えるのかと、最近しみじみ考えさせられている。この句、「鬼が来るかに身構へて」とは思わず楽しくて何回も読んでみた。若い頃は歳の事等あまり考えずやってきたが、九十才も近くなると、本当に寒波が恐ろしい。亦この句の締めくくり「身構へて」が一句を一層楽しいものにしている】

日当たりの午後大らかに冬の蝶
邪魔されぬ場所でパン喰ふ寒雀
楽しみは文春二冊冬ごもり

サンパウロ   橋  鏡子

寒菊を一様に抱き敬老会

【初冬になって咲き始めるのが「寒菊」で、小振りで黄菊が多い。
 敬老会の特別席に坐らせられたご老人方が、それぞれに菊の花束を頂いて胸に抱き、緊張した面持ちで御祝いの言葉を聴いている様子であろうか。何となく畏まった様子がよく現れた佳句である】

姑めの早寝の弁解寒波来る
外遊と小粋に孫ら冬休
冬の蝶傾ぐベンチに手足擦る

サンパウロ   建本 芳江

野焼跡沈む太陽赤い毬

【パラナの奥地で雄大な野焼きを何回も見たことがあるが、夜になるとその残り火が稜線にちらほら燃え次ぎ気味が悪かった。
 この句の様に、野焼きのまっただ中に沈む太陽は、まるで赤い毬のようで美しかったというよい写生俳句である】

房長く開花真近に藤の花
燕の巣きれい好きなる軒の下
見事なる蕨出揃ふ焼け跡に

オルトランジャ   堀 百合子

唄うことそれが生きがひ老いの春

【「歌うこと」、本当に歌うことぐらい楽しいことはないと思う。とくにひと年取って友達とカラオケで歌うのは楽しみであるようで、よいことだと思う。
 「老いの春」と締めくくって楽しい俳句であった】

春日和マルカパッソも取りかへて
手術後は病院通ひ春日和
アリアンサ我が故郷よ桜草

サンパウロ   山本英峯子

平和には遠のく世界終戦忌
花コーヒー自慢話も付け足して
脚弱の踏んで行こうか春の草
カタカナの混ざる日本語終戦忌

サンパウロ   小林 咲子

鎮魂の想ひをつなぐ終戦忌
敗戦忌語りつがれていたましく
しみじみと追悼捧ぐ終戦忌
終戦忌平和尊くありがたし

アチバイア   吉田 繁

早春賦歌ひていつか夏めきぬ
草木にも生命の息吹き春を待つ
ブランコに孫来ぬ日には小鳥来る
リオ五輪日本入場に大拍手

アチバイア   菊池芙佐枝

金メダル国中沸かす春一番
スラムの娘悲苦の身に春五輪の日
終戦日その日わが里火の海に
灯籠に想ひさまざま原爆忌

アチバイア   沢近 愛子

終戦を故郷に迎へし夏の日々
移り来て子にブランコを夫作り
湖の径松の並木とスイナンと
娘が呉れし仔猫は招き猫に似て

アチバイア   池田 洋子

爆音を残し若き等春駈ける
おはようにふり向く仔猫分かったの
うららかにベンチ温めてバスを待つ
春寒やバイクの背なの温かみ

インダイアツーバ   若林 敦子

蜂鳥と共に歩むや冬ぬくし
かずま師のまかれし歩み三十年
下萌ゆる力の雨を祈りをり
終戦日テロのはびこる世になりて

ヴァルゼン・グランデ   飯田 正子

黒き服赤のマフラーで派手になり
長持ちのカランコエ買ふ笑顔かな
寒波来てこれが最後の寒さかな
シクラメン舞台に飾る祝ひ事

スザノ    畠山てるえ

湧くリオの五輪の空に初燕
町住ひ芹の鉢植ゑ良く育ち
町と村分ける小川や夕蛙
早春やテロ無き五輪願ふのみ

ピエダーデ   高浜千鶴子

終戦日父親知らず育ち人
父の日やまだまだ生きて欲しかった
住み慣れて此の国もよし春近し
寒戻り日日繰り返す寒さかな

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