ホーム | 日系社会ニュース | 没後55年、甦った博士論文=山本喜誉司のウガンダ蜂研究=聖州生物学研究所に複写贈呈

没後55年、甦った博士論文=山本喜誉司のウガンダ蜂研究=聖州生物学研究所に複写贈呈

贈呈式には20人以上が出席した

贈呈式には20人以上が出席した

 東山農場(三菱系)の初代場長だった山本喜誉司氏(文協初代会長、1892―1963年、東京都)は終戦直後、コーヒー樹の害虫駆除の研究をして論文(日本語)に書き、母校・東京大学から農学博士号を取得していた。その論文の複製が、没後55年の歳月を経てようやく当地に戻ってきた。16日、聖州農務局の生物学研究所(Instituto Biológico, IB)で、同論文の複写の贈呈式が執り行われた。

論文の表紙

論文の表紙

 サンパウロ人文科学研究所の移民史年表の1950年11月16日項には《東山総支配人山本喜誉司氏の博士論文が東大教授会をパス。主論文は、コーヒーのブロッカ虫の天敵としてのウガンダ蜂論である》と書かれている。
 ブラジルの農業経験を元に東大で博士号をとるのは大変珍しい。日伯の国交回復前、終戦直後の勝ち負け抗争の余韻が覚めやらぬ頃であり、コロニアには朗報として伝えられた。
 山本氏は1927年に東山農場を開設、初代場長に。当時コーヒー樹に深刻な被害をもたらしていたブロッカ虫を駆除するため、天敵ウガンダ蜂をどう利用するかを研究し、論文にまとめた。コーヒーは代表的輸出作物であり、その害虫被害は国家的な問題だった。
 同論文には1932~47年までの15年間の研究資料が収録され、10章立て。全て手書きで210頁にも及ぶ。
 東山農場と同じ1927年設立され、山本氏とも縁の深い同研究所は、昨年に創立90周年を迎えた。その機会に、文協の山本喜誉司賞選考委員会(山添源治委員長)がその博士論文を贈呈することを決定した。ところ肝心の同論文が当地にないことが判明。
 同論文は東京大学に直接提出されていたため、当地にはなかった。山添委員長が東大教授でもある二宮正人弁護士に依頼。ところが同大学にも所蔵されておらず、経緯は不明だが、国立国会図書館関西分館に保管されていることを、二宮教授がようやく突き止めた。
 だが著作権の問題で論文全てを複写できない。二宮弁護士の人脈で元内閣官房長官の藤村修氏が尽力し、紆余曲折を経て複写を入手することに成功したという。
 複写した論文は、海外移住資料館、文協同委員会にも一部ずつ寄贈された。二宮教授は式典で「論文がブラジルに戻ってきてよかった」と胸をなでおろし、山本氏の孫ルイス利夫さん(57、3世)も「父親の筆跡にも良く似ている。とても感激して涙が出てきた。当地で日の目を見て、祖父も喜んでいるはず」と笑みを浮かべた。


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 山本喜誉司賞選考委員会の山添源治委員長によれば、現在、世界的に禁止農薬に指定されている殺虫農薬(DDT)が当地に入ってきたのが1949年頃。「山本博士はそれに反抗してあの論文を出されたのでは。あの当時、天敵を使って害虫を駆除するという考えは非常に珍しかったはず」と推察する。聖州農務局生物学研究所は、もともと珈琲の害虫を駆除することを目的に設立された。同研究所がアフリカから持ってきたウガンダ蜂の一部が東山農場に譲渡され、山本博士が研究に使用したのだとか。

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