ホーム | 日系社会ニュース | 《ブラジル》JICA=料理指導員3人を初派遣=コロニア日本食にテコ入れ=「徹底して計量を指導」

《ブラジル》JICA=料理指導員3人を初派遣=コロニア日本食にテコ入れ=「徹底して計量を指導」

(左から)小笠原さん、森さん、大塚さん

(左から)小笠原さん、森さん、大塚さん

 JICA日系社会シニアボランティアの日本食指導員3人が今月、2年間の活動を終え、帰国する。「日本食の普及と継承」を目的に派遣されたボランティアは、彼女たちが初。試行錯誤した点やコロニアの日本食に関する印象を聞いた。

 JICAブラジル事務所サンパウロ出張所(斉藤顕生所長)は日系社会ボランティアの帰国報告会を5月23、24日に開催。出席した小笠原純子(すみこ)さん、大塚雄子さん、森光子さんは、日本食の指導員として2年間活動、各地の日系団体を指導して回った。
 モジ・ダス・クルーゼス文化協会に配属された料理家の小笠原さん(69、山梨県)は母親の料理教室を引き継ぎ、40年以上に渡って料理を教えてきた。夫が日系社会ボランティアとして当地に派遣されていたため、過去に5回来伯した。
 初来伯した35年前、日本ではインスタント食品が普及し始めていたが、コロニアでは全て手作りだった。「日本の伝統が受け継がれている」と感動すると同時に、「時を経て『自己流』になっている。指導すればもっとおいしくなるはず」との思いを強くした。指導員のボランティア募集があると知り、すぐに申し込んだ。
 今回赴任して、現在も豆腐やこんにゃくが手作りされていることや、古い調理器具が使い続けられていることに感心。他の2人も同様で、大塚さんは「売っていないものは自分で作るし、道具を大切に使い続ける。『日本食を食べたい』という強い気持ちが伝わってきました」と話す。
 3人とも計量を徹底して指導した。小笠原さんは「ブラジルでは目分量で食材や調味料を使うことが多いけれど、それでは作るたびに味が変わってしまう。おいしい日本食を毎回作ってほしいから口を酸っぱくして言い続けました」と話した。
 汎アマゾニア日伯協会に派遣された大塚さん(68、熊本県)は、アマゾン川河口の町ベレンで食材に苦労した。「大根などの野菜がない。サンパウロから取り寄せると高くつくので、あるもので作る必要があった」。大豆の代わりにヒヨコマメで豆腐、小豆の代わりにフェジョン・プレット(黒インゲン豆)をであんこを作るなど、代替食材の工夫を重ねた。
 聖南西文化体育連盟に派遣され、コロニア・ピニャールを拠点に活動した森さん(66、滋賀県)は「簡単でおいしい料理」を心がけて指導した。「最初はラーメンを教えてずいぶん喜ばれたけど、その後みんな家で作らなかった」と残念そう。麺作りからの本格的な指導だったが、家庭では定着しなかったよう。
 好評だったのは親子丼。生卵に慣れていない当地の人に合わせ、卵に火を良く通し甘さを抑えるなどの工夫をした。「教えた後に家庭で食べてもらわなければ。『家で作っている』『イベントで販売している』と聞くと少しは貢献できたかなと嬉しくなる」と話した。
 受け入れ側のコロニア・ピニャール文化体育協会の西川修治さんは「二、三世は見よう見真似で日本食を作ってきた。料理法を教わるとレベルがまったく変わる。森先生のおかげで、みんなが自信を持って日本食を作れるようになった」とうなずいた。


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 さすが日系農家の一大拠点モジだけあって、小笠原さんは「日本の食材はほとんど手に入った」という。「日系農家が野菜を栽培しているし、魚も売っていた。無かったのは気温が寒いところでしか作れない高野豆腐くらい」と話す。最も困ったのは「調味料の味の違い」とか。「ブラジルの醤油は甘くて日本と味が違う。ブラジルの調味料で試作を繰り返して、用意していたレシピを全部作り直しました」と派遣当初の苦労を語った。

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