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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(13)=北西部の大都市、アラサツーバへ=「人と人との繋がり感じる旅」

(左から)カンポ・グランデから参加した名嘉さん、永松さん、梅木さん

(左から)カンポ・グランデから参加した名嘉さん、永松さん、梅木さん

 イーリャ・ソウテイラを後にした一行は、次の訪問地であるアラサツーバに向かった。同市はバウルーから先のノロエステ沿線で最大の都市で、人口17万人を抱える。
 1907年の鉄道開通に伴って開拓が進められた同地は、1915年8月に鹿児島県人大原恵吉らが、ビリグイ植民地の一部だったアグア・リンパ植民地に入植したのが日本人移民の始まり。カフェランジアの平野植民地とほぼ同時期だ。
 現地日系社会は規模が大きく、移民110周年では積年の祈願であった眞子内親王殿下のアラサツーバ日伯文化体育協会ご訪問が叶い、活気づいているところ。だが今回は交流の機会はなく宿泊のみとなった。
 夕刻にホテルに到着した一行は、夜は市内のシュラスカリアで夕食をとり、腹も満たされ満足げにホテルへと戻っていった。
    ◎
 9月24日(月)、故郷巡り5日目。一行は、市内の水上公園「テルマス・ホット・プラネット」に向かった。
 通常は週末営業のみだが、平日に訪れた一行のために特別に貸切り営業してくれた。だが「サンタフェに続けてまたプールか…」と嘆く参加者も散見された。
 ここは、「ホット・プラネット(暑い惑星)」の名の通り、燦燦と輝く太陽が容赦なく照りつけ、気温計は40度を指していた。足だけでもプールに浸かろうとすると温水プールと化しており、プールサイドを裸足で歩けば火傷するほどの暑さ。
 この時間を利用して、参加者に話を聞いてみる。西武ライオンズの野球帽を被り、日陰で休憩していた梅木清さん(78、二世)は、大分県人会の元会長で義弟の永松一通さん(77、大分)と一緒に参加していた。梅木さんも故郷巡りは今回が初参加だ。
 梅木さんは、ソロカバナ沿線サントアナスタシオ生まれ。「小さい時にはまだ電気も通っていない町で、家から5キロ離れた場所に学校はあったけど、子供心に楽しかった。登下校中は道端の砂糖黍を取ってはかじり、いつしかその滓で道端が真っ白になっていたよ」と笑みを浮かべた。
 「日本語は書くのは難しいけど、読むのはできる。日本の漫画でひたすら漢字を覚えたからね。『平凡』という雑誌があって、日本の映画や俳優なんかが載っていたなあ」と懐かしむ。
 その後、11歳で出聖したが学校には通えず、野菜を作っては担いでフェイラで売り歩いた。そのうち、夜学に通いながら働き、聖州電力公社(CESP)で電気技師として勤めた。
 「メンテナンス前に電気を落としてよいかを分析、制御する仕事をしていた。危険を伴う仕事だったから25年間で定年。もう20年近くになるが、のんびりと余生を楽しんでいるよ」と話した。故郷巡りの感想を聞けば、「訪問した先々で歓迎を受けるというのは、普通の旅ではちょっと考えられない。人と人との繋がりが感じられて嬉しいね」と笑みを浮かべていた。(続く、大澤航平記者)


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 県連故郷巡りで宿泊したアラサツーバのホテルでは、大勢の集団客の対応で混乱していたためか、信じ難いような出来事が立て続けに発生した。記者が割り当てられたのは2人部屋だったが、チェックインを済ませて部屋に入ると、なんとすでに他の客の荷物が。フロントで事情を説明すると、「2人部屋がもうない」というので個室を手配してもらい、新しい部屋に向かった。すると、今度は記者のカードキーは壊れていて反応せず、もう一人も部屋に入ると誰かがシャワーを浴びていたとか。その後、三度目の正直で部屋には入れたが、スタッフは悪びれる様子は一切なく、余りに杜撰な対応だった。

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