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アマゾン日本人移民90周年=トメアスー移住地準備に奔走=会館を改修、記念誌出版へ=第2に日本公園建設の構想も=公立学校に日本語授業導入

角田修司さんに説明を受けながらトメアスー資料館をみて回る眞子さま

角田修司さんに説明を受けながらトメアスー資料館をみて回る眞子さま

 ブラジル日本移民110周年の昨年、1年を通して伯国各地の日系社会が盛大に祝った。旧年7月、日本からは眞子内親王殿下がご来伯され、第1回アマゾン移民が入植したパラー州トメアスー郡クアトロ・ボッカス(十字路)を初訪問した。一通り110周年行事も終わり、各地の日系社会がホッと一息つくなか、アマゾン地域では、さっそく『アマゾン日本人移民90周年』の新年9月開催に向けて準備が進められている。皇室ご訪問時に街中に看板を設置し、記念デザートを作るなど熱烈な歓迎ぶりを見せたトメアスー日系社会。90周年に向けた準備状況を取材した。

最後の初期移民=山田元さん

山田さん

山田さん

 「あらゆる病気に罹ったが、91年も生きてこられたことに感謝している」――1929年9月に入植した第一回アマゾン移民の生活を淡々と語った後、そう微笑んだ山田元さん(広島県)は家族と共に2歳で渡伯した。第一回アマゾン移民唯一の生き残りだ。
 当時の入植者数は43家族189人。入植後、マラリアなどの熱帯病の蔓延により、次々と斃れ、同地を去っていった。山田さんは、一家が残り続けた理由を「父は軍隊上りで頑固一徹。『お金がないから行きたくても行けない』と言って、最初に入った場所から動かなかった」と苦笑しながら語った。
 日本移民は入植後、カカオの栽培を命じられたが、土地の特徴や育て方などの知識もないまま農耕に従事していたそうだ。「鉢で育てた苗を畑に移すと、翌日には動物に葉が食べられてダメになってしまっていた。そんなことも知らなかったんだよ」と笑った。「入植から1945年頃までを表す言葉は『苦心惨憺』だね」としみじみと語った。
 山田さんは50年代にピメンタの国際価格が急騰し、ピメンタブームが起こった際、「ピメンタ御殿」と呼ばれた大邸宅を建設した。また、69年からトメアスー総合農業共同組合(CAMTA)の理事長を務め、走り回ったそうだ。毎日曜にはベレンまで車を飛ばし、木曜の夕方まで事務仕事をこなした。「ある面で色々勉強させてもらったが、自分の家庭や経済はガタガタになっていた」と振り返った。
 農夫に農場の管理を任せたが、杜撰な仕事振りで作物がほとんどダメになった。それまでは毎年100トンもの胡椒を生産していたが、30トンにまで落ち込んでいた。さらに73年以降、同地を襲った病害のためにピメンタの生産はがた落ちした。
 「トメアスー日本移民50周年(1979年)でも理事長に推薦された。ボロボロになりながらやりきったよ」と苦笑した。
 その後日本旅行の末、紡績会社の工場に就労した。現場のポ語通訳をしながら7年働き、トメアスーの家族に仕送りをした。その間、監督役を頼んだ農夫にも管理費を送った。
 また、移住時に別れた姉とも再会した。「山奥にある小さな姉の農地をみたとき、父を思い出し、『辛いこともあったが伯国に行って良いこともあった』と思ったよ」と回想した。
 帰伯した山田さんを待っていたのは荒れ果てた農場だった。管理役の農夫は送られた費用を私用に使い、仕事を怠っていた。山田さんは農夫たちに退職金代わりに土地を切り分け、農業から手を引いた。
 そんな盛衰の道を歩み、当地を見つめてきた山田さんは、現在の日系社会について「伯人が盆踊りをしたり日系人がカリンボを踊ったりという時代の流れに関心する」と語った。
 「どこの国でも長短がある、それを活かせばいい。ここは両国の長所をうまく取り込み、良い方向に向かっていっていると思う。今の日系社会をさらに良くしていってほしい」と後世に期待した。


トメアスー文協元会長頴川さん=同文協世代交代を語る

頴川さん

頴川さん

 元文協会長の頴川(えいかわ)幸雄さん(83、熊本県)は1954年にトメアスーに入植した。戦後第1回目の移民として、戦前に入植していた兄弟に呼ばれたそうだ。
 渡伯直前、父が喘息にかかり、健康診断で渡航を禁止された。「『俺達を置いていけ』と言われました。当時の日本は食糧不足でね。心配だったんですが…」と回想した。
 97年から00年までトメアスー文化農業振興協会(ACTA)の会長を務めていた穎川さんは、「ちょうど世代交代の頃で、会議には日ポ語が入り混じっていた。上下関係など感覚の違いに戸惑うこともあった。だが、各家庭の躾もあり、上手く世代交代ができたと思う」と振り返った。
 日本語をほぼ話さない二世の入会が世代交代の起爆剤になった。一世側も若手中心の活動を考え、準備を進めていた。
 「ここの日本移民や日系人はお互いに状況を知っているので、喧嘩もなく和やかに協力しあう。良い意味で競争心が出る環境でもあり、子弟ものびのびと成長しやすいのではないか」と語った。
 日系社会の今後について、「農業は土地で生まれ育った二、三世の代からうまくいく。日系社会を引っ張る二世にも恵まれている。しっかりとやってくれると思いますよ」と信頼を寄せた。


90周年記念事業を紹介=文協現会長柴田シルヴィオさん

柴田会長

柴田会長

 そんな環境で生まれ育った柴田シルヴィオ現文協会長(56、二世)は、ベレンにある商船大学で学び、卒業から3年後にトメアスーへ帰郷した。帰郷後トメアスー郡会議員やCAMTAの理事として働き、JICAの研修で訪日した経験もある。「郡外で学習した若手の活躍を」と、穎川さんや他の元会長から同文協会長職に昨年4月に推薦された。
 昨年4月には一世を含む30人で「トメアスー開拓90周年実行委員会」を設立し、話し合いを進めている。柴田さんは実行委員長としても活躍しているそうだ。
 90周年の記念イベントは9月、パラー州都ベレン、トメアスー、アマゾナス州都マナウスなどで行なわれる。
 また、第2トメアスーのジャミック移住地までの州道256号線の一区間約30キロメートル程度をアスファルトで舗装するインフラ整備も予定されている。
 柴田文協会長は「その代わりに、州政府からは『トメアスーをモデル郡にして欲しい』と依頼されている。そのために我々は教育、環境、健康、農業分野での発展を見せ、他の街にも伝えなければならない」と説明した。
 その一環として、郡立小学校への日本語授業の導入企画もあるという。技術専門学校にも日本語授業の他、日本の新技術を学ぶ授業も導入したいとしている。
 また、文協会館内の台所、舞台などの改修、塗装も記念事業として計画されている。会館入り口には鳥居の設置が計画されている。


「組織の存続に日本文化を」=CAMTA理事長、乙幡さん

乙幡理事長

乙幡理事長

 郡経済の中心であるトメアスー総合農業共同組合(CAMTA)でも二世が活躍している。乙幡慶一アルベルト組合長(53、二世)だ。眞子さまご訪問時、歓迎のために看板の設置やオリジナルデザートを発案したのも乙幡さんだった。
 乙幡さんは聖市のカトリック大学(PUC)の経営学部を卒業後、帰郷した。ACTA会長を08年から務め、その後JICAなどを通じて訪日した。18年からCAMTA理事長に就任し、精力的に活動している。
 乙幡さんは郡内で旧年までに930人の日系人が亡くなっていると話し、「新年は千人分の法要が行われるかも」と明かした。「文協の老人会には145人が所属している。100周年には一世がいなくなっているだろう。90周年は一世が参加する最後の節目になるかも」と今回の重要性を訴えた。
 一世がいなくなることはCAMTAなどの組織の存続にも影響すると、乙幡さんは考えている。「一世がいなくなれば跡継ぎや組織に対する考え方が変わってくる。もしかしたらCAMTAや文協の必要性に疑問を抱く人も出てくるかもしれない」と不安を語った。
 乙幡さんによると、現組合員の1割がCAMTAを必要とし積極的に活動しているが、残り9割は自分の農場経営で手一杯になっているそうだ。「二、三世ではCAMTAを支えきれないかもしれない」との不安を語った。
 乙幡さんは州立学校での日語授業の導入について、「組織の団結を支えるためにも日本の教育や日本的な考え方が必要になると考えている」と語った。
 また、日本人の名前を道路や学校に残す企画についても州政府と話し合いを重ねている。そのほか90周年の記念誌、70周年誌『アマゾンの自然と調和して』の翻訳版の出版も考えており、2020年に刊行予定。毎年行なわれるゴルフ大会や運動会、野球大会なども記念行事の一部として企画されている。
 そのほか、乙幡さんはジャミック移住地にある300ヘクタールの土地に、日本公園の設立を希望している。「記念事業の予算を集めている段階なので、日本公園については『希望』といったところ。その整備などが必要になるが土地はある」と語った。
 乙幡さんは地域活性化のため、日本移民の入植地という特徴を活かし、日本文化や日本の教育を普及させたいとの考えを述べた。「地域住民が国際的な考え方を持つ必要がある。移民が当地に導入した、一番手近な日本との繋がりを活かすべきだと思う」と語った。
 乙幡さんは90周年を迎えることに対し、「一世が作り上げたことを忘れないでほしい――と、耳にタコができるほど聞いている。壮絶な苦しみの中、同地の発展に貢献した先祖に報いるためにも、日本文化を残して生きたい」と語った。

 

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