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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(30)

 こうして樽、ウシ、正輝は後に俗によばれる「構成家族」という形でやってきた。ブラジルの移民政策はこちらに腰かけ的なデカセギでではない永住する家族を優先するものだった。しかし、日本の習慣として長男は家からを出したくないという考えがあり、ごく一般的なかたちの家族移民はむずかしかった。また、移民してやってきた日本人には短期間に、できるだけ働き、できるだけ稼いでまとまった金を作り、それをもって帰国したいという目標があった。
 それには労働力が多い方がいい。家族全員がけんめいに忍耐強く働かねばならないから、農作業に不向きな子ども(ブラジル政府も禁止した)や老人ははずされた。未婚の女性も同年輩の男性より農作業ができないとの理由で移住できなかった。そこで、ブラジル側の家族全員という移住政策にそうように構成家族による方法がとられたのだ。これはブラジル側に容認された。構成家族は夫婦ともう一人の者で構成されたが、三人目のものが家長と血縁関係のない者もいて、そのため、おかしな状況が起きることがあった。とくに、沖縄移民にそれが多かった。
 サンパウロのある農場に入植した日本人の状況を調べたリオ公使館の野田良治通訳は、「この農場には24家族、155人が配属されたが、すべてが沖縄出身の者だ。
 彼等は本来の家族ではなく、架空の家族を作り上げていた。正式な夫婦とその夫婦と何の血縁関係もない独身者により構成されていた。夫婦と子ども、あるいは血のつながった兄弟で構成されるヨーロッパ移民とはっきり違っていた。農場の管理者や労働者たちは「日本人は一夫多妻制ではないかと彼らを軽蔑したりしたほどだ」と1908年に報告している。
 さらに、もうひとつ、コーヒー園でいっしょに働く労働者が沖縄人を野蛮だとする原因があった。政府が文明人にはふさわしくないとずっと以前から禁止していたのに、初期の沖縄移民は手に入れ墨をしていたのである。
 その入れ墨をほかの労働者たちは「野蛮な人間」、「未開の人間」、「後進国の人間」とみなした。入れ墨は西洋人にとって、祖国や家をもたない船乗りか、囚人がするものと決まっていたから、ふつうの人間としてつき合うのに抵抗を感じた。したがって入れ墨を入れた女を見てショックを受けたのも当然だった。
 他の入植者に、入れ墨は沖縄人の間では当たり前の習慣だということを理解させるのは難しいことだった。既婚者がエンゲージ・リングを使用するのと同じように、結婚した女性が手に入れ墨をする。単に既婚者だということを示すだけで、沖縄ではこれをハジチとよんだ。保久原ウシも既婚者だから、手に入れ墨があった。それは右手の中指に長方形の緑のアザのように入れられていた。
 ところが、西洋人ばかりでなく日本人も沖縄人に対し、習慣、食べ物、言葉、身体について違和感を覚えていた。彼らの挙動も日本人と違った。悪条件の仕事に耐えられない、管理人の命令に従いたくない、食料品のつけをさし引かれ給料が手に残らないとかの理由で、コーヒー園から逃げ出す人たちのほとんどが沖縄からきた人間だった。農園でいちばん不平をいうのも沖縄移民だった。
 一時期、サンパウロ政府はこれらの理由で沖縄からの移民を禁止したことがある。鹿児島からも、同じ理由で禁止した。もし、この話を忠道が耳にしたら、「沖縄を見下している鹿児島が、ここブラジルでは同等に見下されている」とほくそ笑んで、復讐でも果たした気になって満足したに違いない。

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