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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(7)

反故にされた〝県移住地〟

移住地のブラ拓事務所(1929年)

移住地のブラ拓事務所(1929年)

 入植早々からのバストス移住地の乱れには、もう一つ大きな種があった。
 入植者が日本出発前に移住組合で聞いた話では「バストス移住地を、県単位で幾つかの移住地に分割する。鹿児島移住地とか和歌山移住地が出来、各県人がそこに入り、独立した経営をする」ということであった。
 これは入植者にとっては、小さいけれども自分達が支配する“王国”が生まれるわけであった。
 狭い日本を出て海外に王国を創る……これは当時の日本で流行った夢だった。
 気の早い県では、移民の日本出発前に、県移住地の役員まで決めていた。役員になった者は張り切っていた。中には、バストス移住地全域を支配する野心を抱いている者すらいた。
 入植者は、日本で移住組合の組合員にもなっていた。
 従って、ブラ拓の職員など自分たちの使用人くらいに思って来ていた。
 筆者は前項で紹介した『バストス二十五年史』の座談会の記事の中で、ある和歌山県人が「(サントスに上陸した自分たちを)移住地の幹部は誰一人出迎えず、敬意を表しにも来ない」と発言している部分、特に「敬意を表しにも来ない」という表現を最初に目にした時、不審を感じたが、右の事情を知って釈然とした。
 その入植者たちが移住地入りしてみると、使用人の筈の畑中たちが自分たちに命令していた。県移住地は消えており、役員たちには何の権限もなかった。しかも入るロッテは──県は関係なく──皆一緒に抽選で決めていた。同県人はバラバラにさせられていた。(なんだ、コレは!)彼らは驚き、かつ怒った。
 この、当初の計画を覆したのは、東京の連合会の梅谷光貞専務であった。彼は既述の来伯時、ほかの入植地を視察していたが、その結果、バストスでの県単位の移住地の独立経営はマズいと判断した。全体の統一が取れなくなると読んだのである。
 彼は日本へ帰ると、連合会の理事会で「計画を変更、バストス移住地全体を連合会の現地法人ブラ拓の管理下に置く」ことを求めた。理事会は、それを承認した。その変更が各県の移住組合に明確に伝えられ、了解をとっていたかどうか…。この辺が甚だ怪しい。
 ともかく重大な約束違反だった。そこで、県移住地の役員は、入植者を扇動、騒ぎを大きくし、ブラ拓を揺さぶって、当初の県移住地の独立経営に戻そうとした。対して畑中は断固拒否、新しいやり方で押し切ろうとした。

貴様、人間の生き血を啜る気か!

…ということで、入植者のブラ拓殖事務所に対する感情は悪化していた。そうした中、1929年末、日本から梅谷専務がやって来た。それを知った入植者が「ひとつ、とっちめてやろう」と、収容所の一室に梅谷を呼び込んだ。小さな室内は満員になった。入り切れぬ者が大勢、外に居た。
 その中に鹿児島県人、霜出静二という男がいた。1889(明22)年の生れで、高等小学校二年の時、教師の不正を糾弾して退学処分を喰らった。24歳の時、旭硝子(三井系)の尼崎工場の工員になり、以後、同社の工場を転々としながら18年間、労働運動の闘士として活躍、豚箱に16回入った。
 八幡工場に居った時、無産党から市会議員の候補に指名された。その件で失職、郷里に帰り、1929年移民となってバストスにやってきた。この頃40歳。その反骨精神は益々盛んで、県移住地の独立経営の実行を畑中に要求していた。
 梅谷吊し上げの場ではいきなり、「梅谷! 貴様、人間の生き血を啜る気か!」と噛み付いた。梅谷が「何!」と立ち上がった。
 梅谷は県知事まで務めた男で、顔も豪傑風だった。が、根は温厚で、霜出だけでなく他の出席者たちが、「日本で聞いた話と現地の事情が全く違っている」と食ってかかると、汗を拭き拭き答弁し始めた。が、攻める方は、殺気だっていて収まらない。
「バストスは移住地として不適、移転すべきだ」と唱えたり「ブラ拓の事務所職員に代わって、我々が事務をとる」と主張した。夕方になって彼らは、梅谷を漸く開放したが、事務所へ帰って行く梅谷の背後で、ピストルを撃って気勢をあげた。梅谷は、ほうほうの体であった。

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