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令和時代を目前に、日系社会へのお言葉を振り返る

平成の元号を報じる本紙前身のパウリスタ新聞1989年1月7日付け

 4月30日に今上天皇が退位され、5月1日から新天皇が即位して「令和(Reiwa)」時代が始まる。

 この新元号の出典は現存する日本最古の古典「万葉集」の序文にある梅の花の歌、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」という和歌からの引用だという。

 これについて安倍首相は「梅の花のように、ひとりひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいという願いをこめ、令和に決定した」と会見で説明している。

 「元号」はブラジルにはない。世界的にもごく珍しいものだろう。ブラジルから見ると、やはり皇室こそが日本国体の安定の根幹にみえる。

 

日系意識の背骨は皇室

 

 先日発表されたサンパウロ人文科学研究所の日系団体調査では、全伯では2千人以上を動員する「日本祭り」的なイベントが88カ所で開催されていることが分かった。さらに、盆踊りだけで138カ所で行われている。この数字をみて、心から感動せざるをえなかった。

 このイベントを準備するために、その50倍、100倍の人が各地の会館を拠点にしてボランティア活動をしていることが想像できるからだ。そのおかげで、ブラジル各地では親日感情がじっくりと醸成されている。

 昔からの日系団体の会館にいくと、今も御真影が高々と飾られているのを見る。世代をこえた日系意識の背骨と言えるのが、ルーツの国・日本への気持ちであり、その中心に戦前移民から引き継がれた皇室への崇敬がある。

 

初ご来伯は三笠宮ご夫妻

 

 はじめてブラジルに足を踏み入れた皇室は、1958年、日本移民50周年を記念してご来伯された三笠宮ご夫妻だった。もちろん多羅間俊彦さん、通称「多羅間殿下」は1951年4月に永住渡伯していたが、1947年に皇籍離脱して東久邇俊彦になっていた。

 三笠宮崇仁親王(1915年12月2日―2016年10月27日)は亡くなられるまで、皇族の最年長者として「三笠長老」の敬称を奉られていた。

 ご来伯当時は、御年42歳。クビチェッキ大統領らとまったく対等に振舞われるそのお姿に、感動を覚える移民は多かった。終戦直後、勝ち組と負け組に分裂した日系社会の混乱を収めることができたのは、ひとえに“宮様の歓迎会を全員で”という強い団結心が生まれたからだった。

 

3度もご来伯された今上陛下

 

 そして、1967年5月には皇太子同妃両殿下(現在の天皇皇后両陛下)が初めてブラジルに足を踏み入れられた。ご訪問の1カ月前である4月には、笠戸丸移民9人を皇居に招待し、59年ぶりに日本を訪問した先駆者たちとご歓談され、ねぎらわれた。

 その後、お二人は1978年6月に移民70周年で再訪され、その記念事業として日本移民史料館が、ガイゼル大統領と両陛下ご臨席のもと盛大に落成した。パカエンブー競技場を埋め尽くして挙行された移民70周年記念式典には、ガイゼル大統領も出席して過去最大級の記念イベントとなった。さらに、両陛下は1997年5~6月に、日伯友好100周年を記念してご来伯された。計3回も足を運ばれたことは、比類のない日系社会の誇りといえる。

 三度目のご来伯の直後、天皇陛下は1997年6月12日に宮内記者会からの質問に対し、日系社会について次のようなご感想をのべられた。

     ☆

 日系人がブラジル社会によく融合して信頼と尊敬を得、様々な分野でますます活躍していることを感じ、うれしく、誇らしく思っています。沿道などで非日系の多くのブラジル人の歓迎を受けましたが、これは、現在の日本に対する気持ちとともに、このような日系人に対する気持ちの現われと思っています。

 憩の園では高齢者の介護に心をこめてあたっている人々の努力を誠に心強く思いました。入所希望者も多いとのこと、高齢者への介護が一層充実し、苦労の多い生活をし、今日の日系社会の基を築いた人々が、安らかな老後の生活を送れるよう切に願っています。

 今日多くの日系ブラジル人が日本で働いていますが、その人々が、日本人移住者がブラジル社会に迎え入れられたように日本の社会に受け入れられ、充実した滞在期間を過ごすよう願っています。

 ブラジルの日系人は、今後ともブラジルの発展と、日伯両国の友好関係の増進に重要な貢献をしていくものと期待しています。(宮内庁サイト)

     ☆

 ここから分かることは、ありがたいことに、天皇陛下はブラジルの日系社会と、さらには日本国内のブラジル人コミュニティに関しても、その労がむくわれ、良い生活ができるようにと祈りを捧げてくださっていることだ。

 注目すべきは、デカセギブームにより在日ブラジル人が年々増えていたこの時期に、天皇陛下は彼らのことを心配され、「日本人移住者がブラジル社会に迎え入れられたように日本の社会に受け入れられ、充実した滞在期間を過ごすよう願っています」とのべられている点だ。

 それから22年が経とうとしている現在、陛下が言われているような方向に向かっているだろうか。もっと日伯双方で手を取り合って、在日ブラジル人が日本でさらに役立つ人材になるために、何かをすべきではいか―という思いがしてならない。

 

皇太子殿下のお言葉

 

 5月1日から新しく天皇陛下に即位される皇太子徳仁親王殿下は、1982年に初来伯され、2008年の日本移民百周年にも祝福にこられたことは記憶に新しい。帰国された直後の2008年6月25日に、皇太子殿下は次のような感想を発表されている。

     ☆

 日系人の皆さんの長年にわたる地道な努力や苦労について、さらにはブラジル社会の様々な分野での活躍や貢献の実情などもお聞きすることができました。同時に、日本人移住者を温かく受け入れてきたブラジル政府や国民の厚意も改めて認識いたしました。その一方で、多くの若い人たちとの話の中で、日本とブラジルが次の100年に向けて着実に関係を深めていることを実感いたしました。これからの両国の若い世代が、更に両国関係の発展のための礎となってくれることを希望しています。(宮内庁サイト)

     ☆

 このお言葉から11年が経った現在、「これからの両国の若い世代が、更に両国関係の発展のための礎となってくれることを希望しています」という部分がどれだけ実現されたのか。皇太子殿下からいただい課題として、日系社会がもっと真剣にとりくむべきではなかったかと思わされる。

 その時に、次のような言葉ものべられた。

     ☆

 サントス訪問も極めて印象的でした。4月28日には100年前最初の移民船である笠戸丸が出港した神戸での式典に臨み、友情の灯の送り出しをいたしましたが、今度はその上陸の地サントスを実際に訪れることができ、改めて当時の方々の不安と期待の入り混じった気持ちに思いをはせ、感慨深いものがありました。(宮内庁サイト)

      ☆

 皇太子殿下は、笠戸丸の出航日である「4月28日」(2008年)に神戸市で開催された百周年式典にもご出席され、6月のブラジル各地での式典にご臨席された。その途中、笠戸丸が到着したサントス港第14番埠頭にもお立ち寄りになった。まさに移民が出発し、到着した港をわざわざ訪れられた。

 戦争中に接収されて以来、陸軍が使ってきた旧サントス日本人学校の建物の返還運動が戦後、ずっと続けられてきた。移民百周年の気運が働いて、直前の2006年に「建物の使用権」が地元日本人会に連邦政府から譲渡され、皇太子殿下のご臨席をえて、改修された建物の開所式が行われた。それが2016年12月5日には、テメル大統領の署名により、土地も含めた「完全返還」の実現となった。皇太子殿下が「当時の方々の不安と期待の入り混じった気持ちに思いをはせ、感慨深いものがありました」とのべられている部分には、おそらくご自身が立ち寄られた旧日本人学校への思いもおありではなかったか。

 

秋篠宮殿下のお言葉

 

 新天皇陛下の弟である秋篠宮殿下。礼宮時代の日本移民80周年(1988年)に初めて足を運ばれ、日伯外交120周年を記念して2014年に秋篠宮同妃両殿下として再び来られた。

 ご帰国された直後に、丁寧なご感想を発表され、その中には次のような一文があった。

     ☆

 多くの日系の方々と話をしていると、具体的に記すことは難しいのですが、私たちが日々の暮らしの中であまり意識していない「日本」を感じることがたびたびにありました。そして、遠く離れたこの地において、自分たち、もしくは両親・祖父母の世代の故郷の記憶が残り、継承されていることに改めて気づきました。

 また、日系の若い世代の人たちと話しをする機会をもつこともできました。日本とブラジルとの良好な関係が、今後も続き、さらに増進していく上で、次世代の人々が、両国の架け橋となってくれることが極めて大切なことだと思います。

     ☆

 秋篠宮殿下がご指摘されている「私たちが日々の暮らしの中であまり意識していない『日本』を感じることがたびたびにありました」という一節こそが、ブラジルの日系人が誇りとして思うべき部分ではないだろうか。日本の日本人には失われた何かが、ブラジルには残っている。それが、時代をこえて継承され、日本との絆を深める上で重要な要素になるのではないか。

 

令和時代における日系政治家の役割は

 

 その皇室から昨年、眞子さまがご訪問されたことは、本当にありがたいことだった。その眞子さまが昨年8月に発表された「ブラジルご訪問を終えての印象」の中で、次のようなメッセージをコロニアに贈った。

 「日本からの移住者とそのご子孫が、大変な苦労と想像を絶するような困難な勤勉さと誠実さを持って乗り越えてブラジルの発展に貢献され、ブラジルの人々から厚い信頼を得て、日本・ブラジル両国の懸け橋となってこられたことに、また努力と積み重ねて今日の日系社会の発展を築きあげられたことに、改めて、心より敬意を表します。そして、この歴史が、未来を担う世代にも大切に引き継がれていきますことを願います」。

 眞子さまがブラジル各地をご訪問された様子は、サンパウロ青年図書館とニッケイ新聞から先日刊行された日ポ両語『眞子さまご来伯記念写真集』に詳細に納められている。ご訪問された地に関係したコロニア偉人の平野運平や上塚周平の逸話も掲載されており、この機会に改めて先人たちの生涯を振り返りたい。

 今上陛下が移民70周年でご来伯されたおりに落成された日本移民史料館が、「平成」時代の終わりと「令和」時代の始りを記念して改修再開館式典を今月末に予定しているのは、日系社会に相応しい、素晴らしい行事だ。

 一方、ブラジルという国を安定させ、発展させるために、日系人はますます重要な役割を果たす必要がある。今まで以上に「日本祭り」や「盆踊り」のような日本文化を普及しつつ、さらには汚職をなくし、義務教育にしっかりと投資して国民のレベルを上げるような政治改革を実現できる日系政治家を連邦議会に送り込み、支えることも重要ではないか。今までのようにコロニアのイベントや記念事業に議員割り当て金を持ってくるだけだめだ。連邦議会で主役をはれる日系政治家に登場してほしい。

 次の令和時代を迎えるに当たり、新しいタイプの日系政治家をブラジリアに送り込むこと、それを支持することが、いま日系社会に求められている。その意味で、平成の最後に議員になった大型新人キム・カタギリ下議には大いに期待したい。(深)

 

 

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