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【世界救世教ブラジル宣教本部竣工50周年】歴史=本部竣工から50年で180万人=青年布教団が拡大の転換点に

1995年11月に竣工したグァラピランガ聖地

1995年11月に竣工したグァラピランガ聖地

▼第一歩は中村嘉寿衆議

 ブラジルの地を踏んだ最初の救世教信徒は、中村嘉寿(かじゅう)衆議院議員だったという記録がある。中村衆議は、終戦後に日本移民を再開すべく、日本政府からブラジルへ派遣された内の一人だった。
 また1954年には、全世界へ布教の準備を進める岡田茂吉師の思いに感化された佐藤晃子さん(てるこ、18)が、布教開拓のために構成家族の一員としてアマゾンに入植した。除霊を望む人のために「おひかり」10体と、教祖の指示で同国初の御神体と明主の御尊影が持ち込まれた。

▼55年から本格的布教開始

 55年8月9日には、小田(しょうだ)信彦(26)と中橋稔(19)がサントス港に到着し、本格的に布教開拓を開始。同年9月15日には、ブラジル初のおひかり拝受式がミナス・ジェライス州ベロオリゾンテ市で行われ、馬場乙雄さん(おつお)と妻の松さんが受け取った。
 56年10月25日には、初めてパラナ州クリチバ市のクリチバ布教所が法人登録した。初期の布教活動は言葉の壁から日本移民の多いサンパウロ州やパラナ州に集中し、62年には浄霊の実践者がブラジルで1315人に上った。

▼布教活動の拡大と宣教本部の竣工

1962年に来泊された青年布教団。瑞雲郷の救世会館にて

1962年に来泊された青年布教団。瑞雲郷の救世会館にて

 62年7月10日には日本の総本部が布教活動の支援で、初めて公式派遣した青年布教団の神戸登(28)、後藤征生(23)、渡辺哲男(22)、西川儔(21)、大前光弘(20)、横山勇雄(20)、中橋満男(19)、浅海佐用彦(18)8氏がブラジルに到着する。63年には渡辺哲男教師がリオ州で布教を開始し、ブラジル全土へ広がりを見せる転換期となった。

1967年に来伯した青年布教団。瑞雲郷の救世会館にて

1967年に来伯した青年布教団。瑞雲郷の救世会館にて

 さらに67年6月14日には、青年布教団第二陣(海外派遣教師候補生)の山下貞夫(24)、白沢典夫(24)、森山活行(23)、林秀有(ひでなり、22)、斎藤武雄(21)、高瀬幹男(21)、大野正人(21)、田中肇(20)及び安江好平(20)9氏が来伯した。
 布教活動が拡大するにつれ、ブラジル宣教本部建設の許可と課題が与えられる。63年6月23日には、ブラジル世界救世教初の仮本部がパラナ州ロンドリーナ市に竣工。64年には、世界救世教ブラジル宣教本部が法人登記された。
 65年には、当時の世界救世教管長である藤枝真和(ふじえだまさかず)を迎え、ブラジル世界救世教宣教本部が竣工する。69年5月15日には、今年で50周年を迎えたブラジル宣教本部の神殿が完成した。
 この度、そこから50周年を迎えた。

▼聖地誕生から現在まで

 76年、渡辺哲男教師がブラジル世界救世教本部長に就任。ここから教団は驚異的な発展を遂げる。教祖生誕100年の82年には、ブラジル宣教本部内に岡田茂吉ビルが竣工した他、ブラジル人信徒1027人が日本の聖地を参拝している。
 85年、ブラジルに祖霊舎の建設認可を日本の総本部に申請し、三代教主に受理された。グァラピランガ湖畔の同建設用地に訪れ、「ここに聖地をつくったら如何です」と提案し、89年9月17日にグァラピランガ聖地の地鎮祭が行われ、91年に建設開始した。
 95年11月には、グァラピランガ聖地が竣工し、十数万人が式典に参加。さらに98年10月10、11両日、三代教主臨席のもとグァラピランガ聖地竣工大祭が執り行われた。
 現在は、約180万人の信徒・支持者がおり、その内50万人以上が全国におよそ500ある布教拠点「浄霊センター」で浄霊の実践に取り組んでいる。

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