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移民の経験を評価し直すありがたい国際学会

基調パネル「社会・人・ことばの動態性と統合ー『日本』とのかかわりを中心にー」の様子(右が松田真希子金沢大学准教授)

 「日系人にとって郷土料理とは何か」、「日系人にとって郷土とは何か」、「現在日本における『日本文化?』の流動性」、「言葉とアイデンティティの関係を過度に重視する問題」――などなど、気になるキーワードがたくさん専門家から語られた興味深い国際学会が4~6日に、聖市のジャパン・ハウスで開催されていた。12カ国から220人の研究者らが参加して、100件以上の発表が行われるという大掛かりなものだ。
 EJHIB2019「社会・言葉・人の動態性と統合」(委員長=モラレス松原礼子USP教授、松田真希子金沢大学准教授)というもので、USP日本語学科大学院、国際交流基金、JSPS「南米日系社会における複言語話者の日本語使用特性の研究」プロジェクトが共催した。
 日本移民百周年までは、ブラジル日本文化福祉協会やサンパウロ人文科学研究所などが主催して、10年ごとの節目には「日系社会の将来」とかを討論する大型のシンポジウムやセミナーが開かれていた。だが、昨年の110周年辺りからさっぱり姿を消した。そんな昔のシンポやセミナーを少し彷彿とさせたが、研究者が主催しているだけに、はるかに「学会」という感じだった。
 コラム子の体感としては、90年代のコチア産組や南伯産組の崩壊、南銀の吸収合併でコロニアは一気に力を失った。惰性と余力でかろうじて続いていたから、99年頃は人文研へ夕方にいって宮尾進所長らと酒を酌み交わしていると、必ず「コロニア滅亡論」の議論になり、「日伯学園を作らなければ」という結論が繰り返された。
 それが2000年を過ぎたあたりからその惰性すらも弱くなり、それまで「コロニア」と愛称されていた「緊密な繋がりを誇った日本語をベースとする共同体」はガタガタと解体の一途をたどるようになった。
 2008年の百周年前後の頃には完全に形骸化し、現在では影も形もないという感じがする。コロニア解体の最終章が、昨年末のサンパウロ新聞閉刊だったと思えてならない。

滅亡するコロニア、入れ替わるコムニダーデ

 コラム子的には「コロニア」という言葉は、日系社会の中でも「一世が中心となって組織してきた共同体の中核部分」というニュアンスで使っている。言い方を変えれば、「日本語世界」を中心とした共同体だ。何らかの形で日系団体とかかわりのある層だ。
 ただし、コロニア滅亡と同時に、わずかな高齢戦後移民を含んだ二~四世によるポルトガル語世界「コムニダーデ」が入れ替わりに立ち上がり、そこの部分が膨らんでいる。
 ただし、我々一世からすると、この二世以降の世代の「コムニダーデ」の規模や緊密性などは図りづらい。でも、現に全伯88カ所で開催されている日本祭り(人文研調査)を実施しているのは、まさにこの層であり、そのような祭りへの参加者たる日系人を入れれば、コムニダーデは50万人前後はいるかもしれない。
 日本語世界としてのコロニアは滅亡したが、ポルトガル語世界としてのコムニダーデに入れ替わり、それは立派に存続している。この入れ替わり起きてきたのが2000年代以降ではないか。
 「日系社会」というと、「コムニダーデ」よりもはるかに広い日系人全体である190万人全体をイメージする。残りの層は日系団体とはほぼ接触を持たない人々で、訪日就労の中心となっている層だと想像される。
 すでに崩壊してしまったから、近頃は「コロニアの将来」を語る必要もないし、そんなことを議論するシンポをやる人もいない。日本語世界には一般社会との間にはっきりした境界線があった。
 だが、ポルトガル語世界になると、そのような境界線は限りなく曖昧になる。境界線がないから「コムニダーデの将来」という危機感を持ちづらい。だが、言葉や文化の問題がない分、コロニアの時代よりも一般社会への影響力はむしろ増している感じがする。
 日本語世界の時代には日本から顧みられることはなかったが、不思議なことに、ポルトガル語世界の時代になってから、今回のように日本側から「日系社会やその言語、文化の在り方や存在価値を見直す」動きが出てきた。ありがたいことだと大いに歓迎したい。
 では、コロニア解体の最終章を過ぎた今は何か?――ということを、架空の全4巻シリーズ本『ブラジル日系社会』にたとえてみたい。
 戦前移民が主人公の「戦前編」が第1巻だろう。高齢化した戦前移民と若き二世と戦後移民を描く「戦後編」が第2巻。熟年になった戦後移民と二世、若き三世の活動をまとめた「デカセギ時代編」(1980年代から2018年)が第3巻。ここまでは日本語世界が中心だが、3巻の中で徐々にポルトガル語世界の比重が高くなる。
 110周年後から始まった現在が「コロニア亡き日系社会編」第4巻で、高齢化した戦後移民や二世に加え、帰伯デカセギ子弟や三世、四世の姿をまとめるものだ。ポルトガル語世界中心の話になるだろう。
 かつて日本語世界はかなりの力を持つ共同体だったが、今では力を失った。だから第3巻の最終章、サ紙閉刊という時代を迎えた。本紙が続いているのは、ポ語週刊新聞Nippak、ポ語出版物を出してきたおかげだと思う。
 つまり、邦字紙の役割は「日本語で一世読者に伝える」というコロニア相手の時代から、「ポルトガル語出版物を通して日系子孫や非日系人に、日本の歴史や文化を伝える」というコムニダーデ相手の時代になった。
 〝邦字〟紙だが、ポ語で商売する時代だ。その役割の部分で収益を増やさないと、この先に生き残ることは難しい。今までとはまったく違う役割だ。

グローバル化世界で、少数民族化した日本

神戸大学の岡田浩樹教授の発表の様子

 今回の国際学会には5日午前中、取材に行った。基調パネル「社会・人・ことばの動態性と統合ー『日本』とのかかわりを中心にー」が行われ、松田真希子准教授(金沢大学)をモデレーターとし、4人の研究者が次々に発表した。
 中でも神戸大学の岡田浩樹教授の話には、気になる点があった。
 19世紀、西洋諸国の東アジア進出の中で、西洋とは違う自分とは何かを問う形で「国民文化」としての日本文化が生まれたようだ。だがグローバル化が進む中で現在、日本において「何が日本文化か?」という点が曖昧になり、《未だ一定の結論を見るに至っていない「未答」の難問》になってしまっているらしい。日本社会において日本人は、国民的アイデンティティを失いつつあるという。
 その話を聞いて、もっと日本の日本人には、しっかりとした日本人アイデンティティを保ってほしいと痛切に感じた。そのためには、もっと外国生活を体験してその違いを肌で感じ、「何が日本らしさか」を外国との比較から体験的に作り上げていくしかないのではないか。それが、移民が日々積み重ねてきたことであり、それゆえに戦前移民には「日本よりも日本人らしい」人が多かった。
 同発表の中で、日本では文化の中で、言葉をアイデンティティの核として〝過度に〟重視してきたことが問題にされていたとも語られた。それを聞いて、「日本語が分からないと本当の日本文化は理解できない」という言葉が、コロニアでもさんざん使われて来たことを思い出した。だから日本移民が3人よると日本語学校を作って、子弟が学べるようにした。
 「日本語を通して日本文化を教える」という従来の方向性に水を差していることは間違いない問題提起だが、現実にはブラジルでもとっくに起きている現象だ。ポ語で提供された日本の漫画やアニメなどを入り口に、日本語へ入って来る多数の非日系人は、まさに日本語が分からなくても日本文化に関心が持てることを示している。最初にPOPカルチャーに接し、次のステップとして日本語へ向かっている。
 日系子弟がルーツを知るために日本語を学ぶ継承的な日本語教育と、非日系人のためのそれとはアプローチが違うのは当然だろうが、もちろん両方とも必要だ。日本語教師はもちろん、県人会の青年部長にも非日系人が就任する時代になった。これは、ポルトガル語世界になったが、日系コミュニティが存続しているからこそ起きている現象だ。
 邦字紙である本紙が、バイリンガル出版物を出してきているのは、まさにそのような流れに対応した動きだ。
 さらには、《日本社会の多文化化が進行する中で、ある意味で南米日系人が直面する二重の問いに日本社会が追いかけるような場面に直面しつつあるといえよう。つまり、グローバル化の中でのマイノリティとしての日本文化とは何か、多文化状況における日本文化とは何かという問いである》という部分を聞いて、ありがたいことだと感謝した。
 かつて日本移民は、多民族国家ブラジルの中で少数民族としての悲哀を常々感じてきた。世の中がグローバル化する中で、世界における日本の立場がそれに似通ってきたというのは、以前から邦字紙で論じられてきたことだからだ。
 日本人が外国で暮らして「少数民族体験」をしながら、物理的、金銭的、時間的、思想的に残せるギリギリの日本文化が析出された。それが和太鼓であり、YOSAKOIソーランであり、日本祭りであり、鳥居などだ。そのような試行錯誤を延々と繰り返す中で、生き残った日本文化が「日系文化」だ。

二世にとっての郷土とは?

富山大学の中井精一教授の発表の様子

 国際学会の中で富山大学の中井精一教授が、昨年の県連日本祭りで調査した内容から「日系人にとっての郷土料理とは何か」、「日系人にとって郷土とは何か」という今後の研究の視点を投げかけていたのも興味深かった。
 現在はコムニダーデの時代に入って、県人会会長は半数以上が二世になっているからだ。戦前移民の子どもたる二世世代にとっての「故郷」は、日本でもなく、ブラジルでもないという部分がある。
 かつて移民90周年の機会に、愛国心豊かな古参二世の馬場謙介さんは『故郷なき郷愁』という名コラム集を本紙から出版した。このタイトルは、けだし名言であると今でも思う。
 同書の前書きに、こうある。《昭和二十六年、日本政府は全ての在日二重国籍者に対して日本国籍の離脱を勧告した。日本の過剰人口と国家の負担を減らし、二世たちは生国へ帰り当該国と日本との交流と再建に協力してほしいという血のにじむような要請であった。母国日本を愛するが故に私は国籍離脱届にハンコを捺し、その足で宮城(編註=皇居)前に直行した。「陛下、ただいま日本国籍を返上しました。しかし、日本人であることに相違ありません」と報告した。昭和二十六年三月十五日であった。
 戦前戦後、苦節十年の日本留学をあとに帰伯する平田進君(編註=のちの連邦下議)としばし別れの杯を交わした。無駄口はたたかず、一言一句を噛みしめてから口を開く彼は、「われわれは日本とブラジルを結ばせていかねばならないね」と述べた。そして酔いがまわったころ、私の胸にクギをさした彼の一言が、いまも甦ってくる。「オレたちには祖国がひとつもないね」と》
 二世にとっての「郷土」の出発点は、ここにある。そんな戦前二世が日本語世界の文化・習慣を、ポルトガル世界に持ち込んで現地変容させ、ブラジルに「新しい故郷」を作っていった。その試行錯誤の時代が戦後のコロニアだ。
 だからコロニアのヤキソバ(餡かけ)は、すでに日本のヤキソバ(ソース味)とは違うし、屋台の天ぷらもそのまま食べられるように味がついている。それを二世がブラジル社会に広める過程で、新しい日系食も生まれた。日本にはないテマケリア(手巻きずし専門店)のメニューは、日系食文化の真骨頂だろう。
 質疑応答で森幸一USP教授が客席から指摘したように、ブラジルのサクラ醤油の製品は、日本の会社から言わせれば成分がウスターソースであって醤油ではないという。「でも、それがブラジルでは醤油として消費されている。その現象が大切なんですよ」と森教授は文化の変容と許容を強調した。

移民が作り上げた文化を再評価する学会

 だが今までコロニアの音楽、文芸、日本食、コロニア語などの日系文化は、日本ではどこか低いもののように扱われてきた印象は否めない。
 実際、この学会会場となったジャパン・ハウス自体、「本当の日本を見せる」というコンセプトで作られた。言いかえれば、「ブラジルには本当の日本文化がない」と外務省が考えていることを如実に表している。日系文化は日本文化とは違う、と。
 だからこそ、移民がやってきたことを再評価する国際学会が、ジャパン・ハウスで多数の研究者が参加して開催されることは本当に喜ばしい。「グローバル化の中でのマイノリティとしての日本」という移民感覚を、日本や他国の人と分かち合えるからだ。
 松田真希子さんは《移動や移住によって、教育、福祉、コミュニティ、政治に混乱が起こり、社会的な問題となるケースが世界中で起こっています。まず、こうした状況がことばや社会に与えている変化や影響を、的確に観察し、記述する研究が求められています。そして、平和で社会包括的な世界へと導くための学際的な研究が求められています》とパネル趣旨を説明した。
 その上で、コラム子の取材に「この学会は、南米の知見から学ぶためのものです。移民が持ち込んだ文化が一般社会に、ただ単に吸収されるのではなく、主体的に自分の文化を作り上げていく。そんな姿を空間的にも、学際的にも横断して見ていく必要があります。だからいろんな国、いろんな分野の研究者に呼びかけて参加してもらっています」と説明した。
 ブラジルでは111年経っても日本語新聞が生き残っている。それだけ日本語世界が残っているのは、ブラジルが文化的に寛容だからだ。最近のブラジルには国際的に悪い話題が余りにも多いが、多種多様な共同体が住み分けをし、文化が維持されているという意味では先進的な部分があるといってもいい。
 日本人が移民として外国でどんな体験をしたかが理解できれば、どう外国人を日本に受け入れていけばいいのかが分かる。そこで、ふと思った。はたして日本で、デカセギ開始(1985年と仮定)から111年後の2096年にポルトガル語新聞(メディア)が残っているだろうか、と。(深)

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