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心田を開発するアマゾン森林農法=フィリピン農業に貢献した日本人=神奈川県在住 松田パウロ(林業技師)=(2)

お米の神様

2019年の大嘗祭の様子(松田さん提供)

 太平洋戦争時、ルソン島山岳地帯の激戦地バギオは、今なお山岳信仰の玄関であり、精霊たちの
棲み家へと私たちを、いざなう。ベンゲット・マツは、清浄が空気を生み出しているのだ。
 イフガオ族の棲むボントック地方は、世界遺産の棚田が天高く、視界いっぱいに開けている。 二千年の時をきざみ、2万へクールにおよぶ棚田を見守る神様の名は、ブルル。
 1980年代、バギオ方面の神霊手術が、日本のマスコミや旅行会社で話題をさらったことがある。
 フィリピン群島には様々な心霊現象は存在するけれど、少数民族の素朴な精霊信仰が、経済社会で生き残るために、奇跡を強調するのは仕方ないことかも知れない。
 本来は生命力のおおらかな賛歌であろう。テレビカメラが先陣を務め、物欲が入りこむと超常現象は消滅してしまう。
 死を直視するからこそ得られる霊感は、冴え渡る山の星空の下で育まれ、電灯の下で消えてゆく。
 高額な報酬を求める手品師のような心霊施術者が現れると、本物の施術師は消えてゆく。
 昭和初期のベンゲット道路の建設には延べ2千人を超える日本人労働者が移り住んでいるが、工期は2年で終了して現地に溶け込んでいった男性も数多い。
 移民の始まりは、アメリカ海軍の高額な賃金に引き寄せられたように見えるが、お米の神様に惹き寄せられたのかも知れない。
 世界大戦でこの山岳地帯に出陣した日本兵は、山岳民族と武道交流を、和やかに果たしていた。
 文字通り「はだし」の付き合い。急斜面を移動する山の男たちの脚力と足さばきは驚異的で、日本の若い兵士を圧倒した。
 彼らの足の指はとても太く、5本の指は、それぞれ別方向を向き、地面をワシづかみにする。戦時中とはいえ、超人の存在を知った日本の兵士は幸運に違いない。
 祖国を遠く離れ、飢餓の恐怖が支配する森で生死の境を彷徨い、たどり着いた高原はマツの里。
 そこは遠い遠いご先祖様の歩んだ道。人々は高床式住居に住み、女性は機織り(はたおり)に勤
(いそ)しむ稲の理想郷は、目の前に生きている。精霊と共に生きている。
 澄み切った空気に、神様を祀り、天に向かって急峻な斜面に造成してゆく「棚田」こそ「心田」と呼ぶにふさわしい。昔も今も日本人は、先住民を見下すことなく、崇敬の念を持って接する。
 心霊手術を最初に日本に紹介したテレビ局の責任者は、私の知人であるが、後日、修験道(山伏)に入門し、今は、静かに僧侶の道を歩んでいる。

シニガンスープ

 ルソン島マニラ郊外の温泉保養地、その名もロス・バニョス。
 特産のナタ・デ・ココというココナッツ果実液の乳酸発酵食品が一時期、日本で大人気を博した。
 刺激の強い食品は好まれず、素材そのものの味風味大切にするのはフィリピンの流儀であろう。
 白身で淡白な味のボラ、現地名バグース、ブラジルでタイーニャは薄い塩味のスープに供する。
 シニガンスープと呼ぶ。マメ科の果実タマリンドで酸味を加え、仕上げはマメ科樹木のモリンガ、現地名マルンガイの葉っぱを散らすだけ。
 あまりに淡白で素っ気ない料理であるが健康長寿に欠かせないミネラル薬膳と聞く。パラパラなインジカ米の白ご飯との相性は抜群である。
 モリンガ樹は、河川や池の水質浄化に優れた効果があり、アマゾニアの都ベレン郊外のスッポン養殖場に植えられ、たいへんに繊細で傷つきやすいスッポンの健康増進に貢献している。
 私は、熱帯林の放浪を重ねてきたが、老いた父の肺のガン細胞を、アマゾニア特産スッポン卵の生命力で消去させ、父から信頼を回復することとなる。スッポンには足を向けて寝られない。
 良質なタンパク質とミネラルに富む簡素な食材には、極限状況を生き抜く力が宿るのだろう。
 重厚なスパイスの味付けは立体感があり、食卓を豊かにしているようである。だが、刺激を求め続け、口直しに甘い乳製品を求めれば、成人病が蔓延するのは当たり前である。時には塩味の清々しい一本勝負を見直し、健全な食材を追求することが大切である。
 フィリピン国の庶民の間では、酷暑を乗り切るのに未熟なマンゴ(グリーンマンゴ)の皮をむき串に刺し、小魚やエビの塩辛を擦り付けてオヤツとしている。未熟マンゴ果実は、生命力を著しく高めると信じられ、ブラジル北東部の習俗に共通している。
 都会人の味覚では、全く美味しいとは感じられないが、忘れ去られた地域の食品の中に、こみ上げる歓びの塩味は眠っている。
 共に汗を流し、限られた素材を、皆で分かち合うからこそ、心は豊かになるのだろう。
 1985年、私はフィリピン群島の中央部ビザヤ諸島のパナイ島にアグロフォレストリー事業の指導に派遣されていた。「パナイ」とは豊かと言う意味で、国語のタガログ語が通じにくい独自の文化圏を築きあげたものはサトウキビ産業の経済力であった。
 私が着任した時点で、畑の表土は流亡し尽くし、砂漠化が進行中で、サトウキビ工場は稼働せず、近隣の農村には、飢餓地帯が出現していた。
 サトウキビ産業は、極めて短期間に薪を消耗し、あと先考えない森の伐採は、凄まじいの一言。
 流亡した土壌のミネラルが、短期的に近海の魚族を増殖させる効果は確かにある。植林の恩恵とか市場調査とか、難しいことは何も考えず、簡単に繁茂するモリンガ樹の葉の生産だけで、娘を大学まで進学せた農家もある。
 荒廃地には荒廃地の徳があり、税金のかからぬ土地で、マメ科の植物がたくましく育つのは、南洋の陽光と微生物のなせる技である。南洋に絶望は存在しない。
 私はパナイ島で2度の大水害を経験した際、山から村に出る橋の落下にともない、期間限定の飢餓を経験している。村の家屋も水田も水没し、仕方なく水没した米を食べる日々を送ったのだ。
 湿った薪で、苦心して炊いた長粒米は、まっ茶色。おかずは、タニシかテラピアのスープのみ。
 大根の薄切りに小エビの塩辛を擦り付けてみたりもした。とても質素に見えるが、健全な食卓に違いない。青春の多感な時期に、ロウソク5本で読書ができることを知った感激は大きかった。
 ヤシの風にタケの葉のそよぎ。農家の夕食が、質素を貫くのは、海洋民族のDNAと思える。
 粗食のおかげで早朝からの山仕事が楽しくて仕方ない。夜明けが待ちどうしい日々であった。
 見た目は茶色く、泥臭いが、野生的なお米が、火山の底のマグマの様にふくらむのは酵素の力。
 日本で発芽玄米(はつがげんまい)と呼ばれたり、古くは芽出し米(めだしまい)と呼ばれた。
 赤痢の高熱で弱り果てていた私に、動物的直感が芽生え、しなやかな体質に変身してた。眠れる酵素が大洪水で起動したのだ。孤立無援の極限状況こそ、心身の若返りの好機であったと知る。(つづく)

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