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「最後」のぶらじる丸同船者会=惜しむ人が遠方から多数参加=結局、来年も開催に決定

記念写真をとる皆さん

 「毎年開かれていたのは知っていたけど、来るのがとても大変で。『最後』と聞いて参加しました」――13日「第9回ぶらじる丸同船者会」がブラジル県人会館で開かれた。遠くパラー州の第2トメアスー移住地から夫婦で駆けつけた参加者の笹原富男さん(81、山形県)は、そう微笑んだ。

 同じく第1トメアスーから参加した鈴木耕治さん(80、福島県)も「最後だと聞いて、ぜひ参加しなきゃと思ってやってきた。皆とは60年ぶりに初めて顔を合わせた。正直言って顔を見ても分からなかったが、とにかく同船者というだけで感激したよ」としみじみ語った。トメアスーから州都ベレンまで車で約300キロ、そこから飛行機でサンパウロ市まで約2500キロもある。
 その他にもミナス州、パラナ州、サンパウロ州バストス市などの遠方からも多数の参加者が駆けつけ、総勢32人が再会を喜び、渡伯60年を祝した。この参加者数は同船者会を始めた当時に匹敵する多さで、ここ数年は20人前後だった。
 代表世話役人の上妻博彦さんは開会挨拶で「時代と共に様々なことが変わりました。もう私も引退する世代となり、次の世代に託していけたらと思います」と節目を振り返ると共に、次世代への期待を語り、同船先没者への黙祷が捧げられた。
 パラナ州に住む大河政義さんが、開催の呼びかけをサンパウロ新聞の読者欄に投稿したのが同会発足のきっかけ。白浜清さんや上妻さんと共に連絡を取れる同船者を集め、2000年1月16日にサンパウロ市長崎県人会館で40周年を祝ったのがはじまり。以後01年から毎年行っている。
 毎回「もっとも遠くから来た人/近くから来た人」「最年長者」「もっとも家族が多いもの」を決める催しなどが行われている。

乾杯の様子

 各人が60年の苦労話を面白おかしく語るコーナーがあり、「マラリアで死に掛けた」「狂犬にかまれ死に掛けた」など生死に関わるものや「人間関係に苦労し、長年尾を引いてしまった」などと発表。「色々あったけど苦労を感じなかった」という声も多く、渡伯後の年月を仲間と語りあって懐かしんだ。
 「60年を節目として終了にする予定でしたが、皆さんどうでしょうか」。終わりを迎える頃合、司会進行を務めていた松田典仁さんが参加者に問いかけた。
 すると「遠方の参加者などからは平日に来るのは大変」という声もあったが、半数以上が続行を望む挙手をし、結局は次回の開催も決定され、笑顔で再会を約束した。


□関連コラム□大耳小耳

 「第9回ぶらじる丸同船者会」で取材中、参加者のひとり初瀬川洋子さん(サンパウロ州サンヴィセンテ市在住)が「大きな仕事をしたのに、夫の名前が残らないなんて」と悲しそうに語っていたのが印象に残った。同船者の夫・英雄さん(04年に死去)は、文協ビルの小・大講堂の内装施工やイビラプエラ公園の慰霊碑建造に携わったそうだが、名前が刻まれたり、残されたりしたことは無かったという。コロニア史には、こうした「埋もれた功績」がたくさんあるのだろう。

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