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中島宏著『クリスト・レイ』第5話

 勉強そのものよりも、学校生活をできるだけエンジョイしたいと考えるタイプだった。その彼が日本語を勉強するというのだから、マルコスは咄嗟にその意図がよく理解できなかった。
「どうして日本語なんだ、エンリッケ。日本語を勉強してどうするつもりなんだ」
「どうするつもりも何もないが、俺の友だちで日系人がいて、そいつが日本語を教える学校があると言うんで、まあ何だ、面白半分にその学校を覗いてみようということだ」
 エンリッケは、こともなげにそんなことを言ったが、どうもあまり真剣に考えてのことではないらしい。
 確かに、マルコスたちの農場の近くに、日本から来た移民たちがグループを作って集団生活をしていることは知っていたが、それは自分たちとはまったく関係のない世界の人々として見ていたから、多少の興味はあったものの、あえて近づきになろうという考えはなかった。
「そういう日本人ばかりの中に、俺たちのようなブラジル人が入っていっても構わないのか? ああいう所では、生徒が日本人か、日系人に限られるだろう」
「別に問題はないということらしいぞ。友だちにその辺のことも聞いてみたんだが、ブラジル人でも同じように歓迎するらしい。だから、とにかく一度、どんな所か見てみるだけでも面白いじゃないか。まあ、気に入らなければそれっきりにして、行かなければいいんだから、面倒なことにはならないと思うがな」
「日本語ねえ。まったく見当もつかない言語だな。ポルトガル語はもちろん、他のヨーロッパの国々の言語とも似ても似つかないから、そんな難しいものが覚えられるかどうかだな」
「大丈夫だって。マルコスのように勉強ができる人間だったら、わけはないと俺は思うな。全然優秀でないこの俺が、勉強してみようと言ってるんだから、お前だったら簡単なものだろう。とにかくまず、行ってみようじゃないか」
 妙なものである。
 それまで何の関心も持たず、興味もまるでなかった日本語や日本人のコミュニティに関わるようになったのは、まったく偶然のきっかけから生まれたようなものだが、そのことが、後々のマルコスの生き方に大きな影響を与えていくのだから、世の中のことは分からないものである。
 日系人たちが通う日本語学校は、プロミッソンの町から、マルコスたちの農牧場に通じる街道を少し入り込んだ、あまり目立たない場所にあった。この辺りはゴンザーガ区と呼ばれ、ここ数年の間に多くの日本人移民が入植したことは一応、みんなが知っていた。しかし、直接そこへ行ってみた者はほとんどいなかった。いつも通っている街道からそれほど離れた所ではないが、マルコスにとってそこは、初めて訪れる場所であった。
 それは二月の終わりの、まだ暑さが残る時期で、定期便のように毎日夕方にはスコールがやって来ていた。ただ、早朝は気温も快適で、清々しい空気が支配していた。
 エンリッケの友人の、ケンゾー・アオキに案内されて緩やかな丘陵地を下っていくと、低地の部分にはかなりの面積の原生林が連なり、その辺りは周りから遮断されたような形になって、一つの孤立したような世界が作り出されていた。ゆったりとした曲線を描く坂道を下りていくと、その原生林の一部分が急に開け、結構大きな広場が、いきなりという感じで目の前に現れた。

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