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《記者コラム・樹海》自然災害としてコロナ対策を考えて良いのでは

サンパウロ州カンピーナス市で、陸軍が市役所やバス停の消毒に動員された様子(Foto Carlos Bassan)

 コロナ・パンデミックによって、世界が不自然な方向に追いやられている気がしてならない。今回のコロナ対策には現代文明の歪みが、そのまま現れている気がする。こんなことを書くと、怒る方もいるかもしれないが、根本的なレベルからの議論が必要な問題だという意味で提起したい。
 今起きていることを超単純化していえば、本来はどうしようもない自然災害なのに、「人間は全てをコントロールできる」「自然を支配するのは人間」という価値観で対処した結果、「犠牲になりやすい高齢者や既往者を生き延びさせるために、経済を大破壊して対処のツケを未来の世代に回している」という不自然な結果に繋がっている――そんな気がしてならない。
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IMFによる経済見通し表

 新型コロナへの対処として世界中が外出自粛や都市封鎖をした。その結果100年に一度の大恐慌が襲ってきている。
 日本経済新聞24日付電子版は《世界経済、2年で損失1300兆円/20年はマイナス4・9%/英国は311年ぶり低成長経済》と報じる。感染者数が少ない日本だが20年の成長率はマイナス5・8%と予測され、第2次世界大戦直後の1946年(11・6%減)以来、74年ぶりの大幅なマイナス成長となると報じた。
 英国のGDPは前年比10・2%減で、1709年(13・4%減)以来、311年ぶりという記録的なマイナス成長になると予測される。《感染者数が世界2位となったブラジルも9・1%減と予測され、同国政府によると1948年以来で最も厳しいマイナス成長となる》と報じた。
 本紙27日付《2011~20年は失われた10年に=コロナ禍がブラジル景気後退決定づける》でも、この10年間の経済成長の落ち込みは、それ以前の120年間を10年単位で比較した中で最悪と報じた。
 「一世紀単位で見ても最悪」というのは、本当に恐ろしい数字だ。今後数年で、今のコロナ死者よりはるかに多い恐慌による自殺者、貧困による死亡、犯罪被害者が出ることはほぼ間違いない状況になってきた。

「仮死状態を伴う危険な手術」をすべきだったか

 コラム子はパンデミック対策として外出自粛をとるべきケースは確かに存在すると確信する。だが今回がそれなのか―という部分に疑問がある。
 外出自粛には、経済的な副作用が強すぎるからだ。本来は経済を動かしながら、人から人への感染を抑制するために「社会的な距離を保つ」のが筋だったはず。それが外出自粛にすり替えられてしまったことから、予想されていたにも関わらず100年に一度の大恐慌を招いてしまった。
 外出自粛を医療に喩えてみれば、「ウイルス感染を抑制するために人の動きを止めて、経済を一時的に仮死状態にすること」だと思う。
 心臓移植手術をする際、古い心臓を摘出して新しく入れ替える時に、時間がかかり過ぎると身体の損傷がひどくなりすぎて、新しい心臓を入れても患者は死んでしまう。
 心臓が動いていない空白時間をできる限り短くし、その間も、できるだけ新しい血液を人工的に循環させるように外部から血液ポンプで回さないと、体の機能はどんどん失われていく。
 手術をする間は心拍計、脳波計、血圧計などあらゆる科学的な計測手段を動員して、身体が変調をきたしていないかをチェックしながら慎重に手術を進めるだろう。
 コラム子は経済も一緒だと思う。
 だが今回の外出自粛措置では、体(経済)の生命維持活動の計測をしないまま、外出自粛によっていきなり「経済の血液」たるお金の循環を止めた。長い時間そのままにしたら、体(経済)が壊死することは日の目を見るより明らかだった。
 血液の動き(お金)を止めている間、本来なら緊急支援金(給付金)や中小企業支援金などによって、血液を十分に回さないと体の機能はどんどん壊れていく。
 その緊急支援金という輸血の量が圧倒的に足りないにも関わらず、心臓停止手術を強行しているのが現在の姿だ。体は血液不足にあえいで、どんどん壊死が進んでいる。
 その結果が、100年に一度の大恐慌だ。

サンパウロ市の高級住宅街アクリマソン区のガソリンスダンド横で車に危険な放火

 サンパウロ市が誇る高級住宅街の一つアクリマソン区で、ガソリンスタンド横の家の前に止まっていた車が1週間前に放火された。ここ数年、同じ道を毎朝歩くが、始めてみる光景だった。町が荒んできた雰囲気を感じる。東洋街でもバロン・デ・イグアッペ街だけで最近3軒も店が閉まった。コロナ前まで元気よくやっていた店が、あちこちでシャッターを閉めたまま「Aluga」(貸します)の看板を下げるようになった。こんな短期間に不景気感が身にしみて高まるのは初めてだ。

東洋街で閉店した店に不動産屋がAlugaの看板を出している

 輸血(資金)は先進国ほど潤沢にあり、途上国ほど乏しくなる。このような「仮死状態を伴う先端手術」をする必要が生じたとき、キチンとした専門医師がいて先端医療設備が揃った大病院と、先生が一人しかおらず仮死状態を伴う手術などやったことがない町医者と、どちらを選ぶか。
 大病院の方がうまく手術を成功させる可能性は高く、町医者ではリスクが高い。医療水準(経済の規模)が全く違うにも関わらず、世界一律に同じ対処(外出自粛)をさせるのは正しいのか。
 先進国と同じ対処を、途上国がマネしても同じ様にはできない。世界保健機関(WHO)は世界一律に外出禁止を進めているが、それは「世界経済を破壊しろ」と言っているに等しい。
 その結果、生き残るのは先進国の一部大企業だけで、世界的な格差はぐっと広がる。

自然災害として対処しても良かったのでは?

 WHOが言っているのは「人命は全て(経済より)に優先する」の一点張りで、「人間は自然の上に立って支配する存在である」ことを前提にした物言いだと感じる。本当にそうなのか。
 WHOは保健の専門家であって、全体のことなど見ていない。患者は医者の言葉を聞く時に、自分の家庭環境や経済状態と照らし合わせて、出来ることしか実行できない。医者から1錠3万円の薬を毎日飲んだら治ると処方されても、お金持ちしか実行できない。貧乏人がムリにやったら家計が破たんする。
 WHOは世界一律に「仮死状態を伴う大手術をやれ」と命じているが、大手術が失敗(世界大恐慌)した時の責任は取るのか?
 今回はパンデミックなのだから、ある程度の人命が失われることは、残念だが自然なことだ。それをできるだけ少なくする努力は大事だが、犠牲はなくせない。
 パンデミックが自然現象である以上、犠牲になるのは生命力が衰えてきている個体だ。残念ながら高齢者や既往症を持つ人だ。だが病気とはそういうものであって、生命力が衰えてきた人から亡くなるのは、悲しいことだが自然なことだ。
 地震が起きた時に震源地に近い所にいた人ほど、犠牲が多いのと同じではないか。悲しいけれど、越えなければならない災害だ。パンデミックも同じ様に乗り越えられないのか。
 ブラジルでは経済を止めた代償として、緊急援助金や企業救済資金、臨時病院やその人件費などの防疫対策にかかった膨大な費用、株価や国債を買い支えるために、GDPの10%に相当する国債を新規発行している。
 国債は国の借金だ。現在使うお金を未来の世代に払わせる仕組みだ。つまり、今生れたばかりの赤ん坊から若者までに、パンデミック対処のツケを負わせるものだ。
 もしも、生命力の衰えた人がある程度亡くなることを「パンデミックだから仕方がない」と皆が納得できるなら、できるだけ経済打撃を減らそうとする選択肢も採れたはず。ある程度の人は死ぬが、経済活動はそのまま継続される。少なくとも未来へのツケは生まれない。
 今回は「生命力の衰えた人」=「弱者」を救済するために、外出自粛によって健常者や若者が犠牲になる対策を選んだ。そしてツケを未来の世代に背負わせている。
 パンデミックは自然災害としてやり過ごすのでなく、「弱者救済」「将来ツケ送り」の発想で対処してムリが生じた。だから、経済に100年に一度の恐慌を起こし、未来に壮大なツケを残したのでは。
 この背景には、世界的な社会高齢化がある。有権者に占める高齢者の割合がどんどん増えており、彼らの生命を軽視するようなことをいう政治家はすぐに落とされる。
 高齢者最優先の政策しか実行されず、結果的に政治に関心の薄い若者や、選挙権すらない子どもに負担が回される構図が元々ある。
 人は長生きすればするほど幸せなのか? コロナ対策をどうするかは、資本主義社会の根本的な価値観、今の文明のあり方、民主主義そのものが問われる問題だ。
 3月から授業を止められた教育現場の問題は、ある意味、経済よりも深刻だと思う。幼稚園から大学院まで一斉に通えなくなり、一部のオンライン対応できる層と、インターネット環境のない貧困層の知識格差が一気に拡大しつつある。
 だが入学試験は容赦なくやってくる。これで子供や青年の将来の重要な選択肢が決まる。

『WHO2019年世界マラリア報告書概要』(https://www.malarianomore.jp/wp-content/uploads/2020/01/2019-世界マラリア報告書概要_final20200110.pdf)

 たとえば、これがエボラ感染症レベルの危険性があるものなら都市封鎖も当然だろう。エボラ級のパンデミックが起きたら何億人という人が死ぬからだ。だが、今回はそこまで危険なウイルスだったのかという疑問が残る。
 『WHO2019年世界マラリア報告書概要』(Malaria No More Japan 20200110)によれば、2010年の世界マラリア死者は推定58万5千人だった。2018年でも推定40万5千人が死んでいるが、コロナのような大騒ぎはしてないのは、なぜか?

いずれ罹るなら先に済ませるという発想もアリか

 本当にパンデミックであるなら致死率程度の死者がでるのは「悲しいが、仕方のない」ことではないか。その日その日の多い少ないで大騒ぎするのは、あまりに目先の判断だと言う気がする。
 本当にパンデミックであるならば、人口の7、8割ぐらいが感染し、その感染者×致死率ぐらいの人数が死ぬ。いま第1波の被害が少ないことを喜んでる国もあるが、ワクチンができるまでに第2波、第3波でやられる可能性が高い。「今少ない」と喜んでいる意味はあまりないと思う。
 一方、これで収まるのであれば「感染しても抗体すらできない程度の毒性の弱いウイルス」だった可能性が高く、それならパンデミックと大騒ぎをすべきではなかった。
 パンデミックであるなら、「早くすました方が後々まで心配しなくて良い」という考え方もできる。ブラジルでは第2波を心配する必要がない。なぜなら第1波すら終わっておらず、このまま人口の大半が感染しそうな勢いだからだ。
 南米最大の都市サンパウロで抗体所持者が10%ということは、いまから都市封鎖してもムダなぐらいに市中感染が進んでいることを意味する。そんなに感染が進んでいるのに、死者数は致死率の範囲内であり、医療崩壊はサンパウロでは起きていない。パカエンブー臨時病院を解体するぐらいに患者数は多くない。
 本当にパンデミックなら、ワクチンができるまで1年でも、2年でも、3年でも断続的に外出自粛をしながら待って、今以上に経済破壊を続けることは現実的なのか。
 ブラジル全国民を対象にワクチン接種をする現実を考えた場合、生産設備を作るだけで約1年かかるという説もあり、間に合わない。ブラジルは1年経たずに集団免疫状態に達しているだろうからだ。
 ロシアしかり、インドしかり。貧しい国は経済封鎖を続けることは出来ない。どこかの時点で割り切らないと仕方がない。だからあちこちの感染拡大中の国で外出自粛を緩和させている。
 このレベルのウイルスは10年に一度はやって来てもおかしくないという専門家がいる。その度に外出自粛をしていたら世界経済はどうなるのか。
 ならばある程度の国民が犠牲になることを前提する対処法も、選択肢としてはある。犠牲を分かって「先にすまそう」と外出自粛をしないという辛い判断をした国に対し、外から「死者が多い」と非難すること自体じつに失礼だと思う。
 ただし、ブラジルのように「意図せずに集団免疫」の場合は、失策の結果そうなるのだから突っ込みどころは満載だ。

どうして二重基準で平気なのか?

 今回特に気になるのは、抗体検査の結果からは実際の致死率は0・5%以下なのに、PCR検査の不自然な形での計算で致死率5%とか7%にあげるようなダブルスタンダード(二重規範)がまかり通っている点だ。
 どうしてこんな二重基準を、WHOが先導して世界的にやっていておかしいと思わないのか、理解ができない。
 「仮死状態を伴う危険な手術」をやるべきだったのかを決断する上で、致死率は重要な指標だ。それが二重規範に基づいているのがオカシイ。歴史家に10年後までに検証してほしい問題だ。
 実際の感染者数は、公式数の7倍から10倍はいると多くの専門家が最初から指摘している。病院に罹った患者の中から、医者が必要と判断した人にしかPCR検査を施さないのが、初期の対処の通常だった。
 大まかにいえば感染者の8割、9割は病院に行く必要がないぐらいの症状しか出ずに、自分で治癒すると、3月、4月から言われている。だが、このような人たちも立派な感染者だ。この人たちを最初から除外していた。PCR検査をした重篤者だけから致死率を割り出していたから、実際よりも10倍も高い数字になっていた。皆が知っていた。
 今になって大規模な抗体検査を初めて、その矛盾が数字をもって公に指摘されている。だが最初の段階から指摘する専門家もいた。
 今回はWHOをはじめとする各国の専門家がこぞってダブルスタンダードで、悪い方の数字を強調する行動を徹底したから、実際以上の恐怖が国民の間に広がった。適度な恐怖心を持つ必要だが「過ぎたるは及ばざるがごとし」ではないか。

本当に「経済は後から取り返せる」のか

バイーア州サルバドールで大学の入り口に「閉鎖」の張り紙をする市職員(Fotos: Jefferson Peixoto/Secom)

 4月頃、ブラジル・メディアのニュースアナウンサーを始め、一部の州知事らは意気揚々と「経済は後から取り返せる。今は人命が最優先。どうしてそんな単純なことも分からないのか」と呪文のように繰り返していた。頭ごなしに「外出自粛しかない」と主張するのを聞き、ずっと首をかしげてきた。
 「はて、平時ですら景気高揚が難しいのに、100年に一度という深刻な大不況になりそうなコロナ後の経済を、どうやって復興させられるのだろう。そんな復興プランがあるなら、先にキチンと教えてほしいものだ。それなら安心して自宅待機して耐えるのに…」と切実に感じた。
 「そんなに簡単に回復させられる経済手腕がブラジルにあるなら、まったくの平時にも関わらず、どうしてこの10年ほど景気高揚できなかったのか」と問いたいと思っていた。
 コラム子が言いたいのは「人命と経済は比べるものではない」ということだ。「ニワトリが先か、卵が先か」という議論と同等で、両方が同じ様に大事だ。
 ブラジルは、死者数でも感染者数でも世界第2位となりコロナ対策で失敗したのみならず、経済対策でも敗北した。
 人命を尊重して外出自粛したが感染者抑制につながらず、大量の死者を出し、おまけに経済破壊まで起こした。コロナからは生き残った人々の中から、次の段階で大恐慌と貧困によって死ぬことになる。最悪のダブルパンチを避けることができなかった。
 所詮、人間は自然の一部に過ぎない。自然な流れを強引に捻じ曲げた人間の行為へのしっぺ返しは、遅かれ早かれ訪れるだろう。遅くなればなるほど、強烈な形で。
 とにかく、なってしまったものは仕方がない。ダブルパンチを食らったという前提で、今後の対処を考えるしかない。(深)

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