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中島宏著『クリスト・レイ』第18話

 この日、マルコスは普段着ではなく、一応、訪問着を着て、格好を付けてきている。別に大したことではないが、一応、きれいに洗った格子のシャツに、ベージュ色の木綿のズボンを履いている。牛皮で作った茶色のブーツも、普段はあまり使ったことはない。
 要するにこれは、毎日曜日に教会へいく時とか、招待されたパーティーにいくときのような、よそゆきの格好であった。そのせいか、何となく窮屈な感じもあり、落ち着かない心境でもある。
 マルコスは教会の周りを行ったり来たりしながら、教会からさらに下の方に下りていくなだらかな坂道の先方に目をやったりしている。アヤが来るのはいつも決まって、そちらの方からだった。やがて、二十分ほど経った頃、その坂道の先にアヤの姿が見えた。途端に、マルコスの心臓が高鳴った。
 落ち着け、普段通りの対応をするんだ。他のことは何も考えるな。
 そう自分に言い聞かせるのだが、そういうふうに意識すればするほど、かえって落ち着きがなくなっていく。この心の動きに、マルコスは翻弄されそうであった。
 アヤ・ヒラタは、当時の日本の女性としては背が高く、スラリとした容姿で、清楚な雰囲気を持っていた。色白だが、ブラジルへ来てからは亜熱帯地方の強い陽射しのせいで、こんがりと焼けたような肌色になった。
 その分、日本にいたときと比べ、たくましく健康的な感じになっている。ややふっくらした顔は、柔和な表情を持ち、人間としての善良さがそのまま出ているというような印象を持つものであった。切れ長の澄んだ目を持ち、その瞳は引き込まれるほどの黒さを湛えていた。髪の毛も漆黒に近く、それが肩あたりまで伸びている。
 彼女の容姿から連想されるのは、いわゆる古風な日本女性の姿であり、佇まいであった。
 そのアヤが、マルコスを目がけるようにして、向こうから歩いてくる。姿勢がよく、いかにも若さを感じさせる歩き方である。真っ白なブラウスに、えんじ色の少し長めのスカートという服装は、周りの緑の風景によく映え、それは、なにやら現実離れしたもののようでもあった。
 五月。季節はまさに秋の真っ只中で、空は抜けるように高く、透明度の高い、信じられないほどのコバルトブルーの空が広がっていた。この季節になると雨は少なくなり、空気は徐々に乾燥し始める。朝晩の気温が急速に下がるせいか、空気の透明度は高くなって、その分、周りの風景はシャープな映像で満たされていく。透明感が増していくにつれて、そこに映るものは、ある種のまぶしささえ感じさせるものであった。
 マルコスは、徐々に近づいてくるアヤの姿にも、そのようなまぶしさを、さっきから感じ続けている。が、しかしこれは、多分に彼の心情的なものが反映されているのであろう。
 アヤは、マルコスに向かって来てはいるが、その目はぶしつけに彼の方を見ているわけではない。チラチラと彼の方を見ながらも、大半はその視線を、学校や教会の方に向けている。その辺りはやはり、彼女は日本的な雰囲気を漂わせていると言えるようである。
 風が舞った。同時に彼女の黒髪も風と一緒に舞うようにして乱れた。顔に覆い被さるようになった髪を片手でかき上げつつ、アヤはにっこり微笑んだ。

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