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特別寄稿=我が青春の思い出=サンパウロ市イピランガ区在住 小池 庸夫(つねお)=(中)

最初に呼び寄せてくれた山下徳丸ご夫妻。カッポン・ボニート市

 そうしてその日語学校は、田舎の農家の子供を預かり、日語だけではなく日本精神を学ぶため、経費としては各々の農家で取れた生産物を持ちよって、食事代として宿泊費は無料で子供達を預かっていたのであった。そういった中で大人は私ただ一人。特別に宿代、食事代として月4コントを支払うことで話し合いは成立した。
 やっと今まで培って来た自分の腕が発揮出来るときがやって来たのだ。念願が叶った喜びに勇み、意気揚々とカッポンボニートに引き返す。そして一部始終を話し、お許しを乞う。
 先に奥様とも話し合って居たことでもあり、パトロンの言葉「お前がサンパウロに行くことについて、何も反対はしない。呼び寄せるに当たって費用もかかっているので、何も援助は出来ない。しかし、もしサンパウロで職にあぶれ行く所が無くなった(!)時は、ここが我が家と思って何時でも帰ってこい」と言う有難い言葉を頂き、そして「決して変な女(!)に引っ掛かるなよ。日本の親に申し訳ないから」とも。
 立つ鳥後を濁さず―と言うことわざ通り、日頃出来なかった家の回り、寝起きしていた小屋の回りをキレイにカルピ(草刈り)掃除して、身の回りの品をまとめ、予めお願いしていたトラックに乗せてもらいサンパウロへ。
 日本から来てまだ1年と8カ月。録なポルトガル語もはなせないままカシンギ区ローパス・レジェンシアのある日本語学校の橋詰さん宿舎へ。そして最初の出社日、あの気難しい橋詰氏が私に同行してくれた。
 まるで息子の門出のごとく、門番(ポルテイロ)に向かって「この青年は我が息子同然に扱う様に頼む」とご挨拶に行って下さる。有り難くもあり、又微笑ましい情景でもあった。
 この会社のマルセナリア部で働くようになって知った事は、紳士服専門ロージャ・ガルボ専用の縫製工場で、女工さんばかり約300人、工場内設備の棚を作ったり、女工さんの座る椅子を直したりした。私以外にもう一人ロシア人の職人が居た。
 何とか身ぶり手振りでの会話で馴れ始めた頃、従業員出勤カードを打つ機械が導入され、どうすれば良いのか分からず、キョロキョロしていたところ、一人の日系女性に声を掛けられる(!)。運命の出逢いであった。

運命の出会い

 カードの打ち方を教わり、その時「ニーチャン、今いくら給料貰っているか」と聞かれる。
 ためらうことももなく18コントだと答える。実は彼女の父親はマルセナリアをやって居て、今職人を探している。パパイなら20コントス払うだろうと言う。運命的出会い。このレジーナと言う女性に出会った事から始まる。
 まだその時はそのまま別れたのであったが、家に帰って考えるうち、我が将来独立するためには、色んな技術を身に付け、金も貯めなければならない。ブラジルまで来て一生他人に使われる身でありたくはない。外に出てもっと社会に揉まれなければ、それに愛嬌よく清々しい日系女性レジーナに心引かれた所もあり、後日、父親のマルセナリアへ行って見ることにする。
 ピニェイロスのテオドロ・サンパイオ街をのぼった左側、マテウス・グロウ通りの角にあった。父親の名前のブラジル名を取って「マルセナリア・サントアントニオ」。紹介され、そうして月給料20コントスで約束。そこで働けば住居もパトロンの住まいの裏に部屋があり、木工所の塗装を主に雇われて居た日本人のおじいさんと一緒に住まわせて貰うこと、住み込み食事代として月4コントス払う事で話し合いは成立した。
 いよいよ我が独立のチャンスが巡り来たかの気分であった。
 優しい心を持った女性と結ばれ、どんな小さな家でいいから、家賃を払わなくてよい我が家を持ち、どんなボロ車でもいいから自家用車を手に入れる。それがその頃の我が夢であった。
 まだ一年も務めて居ないローパス・レジェンシヤを辞めるにあたり、その事を申し出る。職長ジェレンテから「何故辞める。給料の問題ならもっと払うようにするから辞めるな」と言う。「いやそうではなく、自信の将来のためだ」と言うことで、後ろ髪を引かれる思いではあったけれど納得してもらう。
 だが今度は宿泊していた橋詰氏だ。無理を願って親代わりにもなってくれていた。一年にも満たない内に辞めるなどと言えば簡単には行くまい。だが何とても我が夢実現のための第一歩であることを何とか言い含め、ここでも有難い言葉「どこへも行く所が無くなったら帰ってこい」と言って送り出してくださった。
 カッポンボニート山下家を去る時と同じように、こうして私の運命は前へ前へと運ばれて行ったのであった!

「マルセナリア・サントアントニオ」へ

 そうして、いよいよ山田家(仮名)に引っ越す。「マルセナリア・サントアントニオ」で働くようになる。この山田家にはご夫妻に年頃の女ばかり20歳前後の娘4人がいて、長女がレジーナ、次女 が既に結婚、3女マリア、その下エレナの4人。その下に何もしない14~15歳の極道息子が1人居た。
 さて運命のいたずらとも言うべきか。私が一番心引かれていたレジーナ長女は、何と私より年上。そればかりか彼女は既に婚約者が居て、近いうちに結婚の運びとなっていたのである。
 私にとって青春時代は、この時以外はなく、人の世と言うものはなかなか思い通りには行かないものだと苦い思いをかみ締めた。。もしこの時、レジーナが婚約していなかったら、我が人生も全く異なっていたであろう。
 問題は、三女マリアはマルセナリアのジェレンテ(支配人)で父親以上の権限が与えられていて、体格も私より大きく、年は同年代。
 父親・社長は名ばかりで、体もよわく、午前中ちょっと顔を出し図面を書いたり書類に目を通すだけ。午後になるとさっさと引き上げてジョッキー(競馬)にいりびたり。
 そう言ったことで、住居が一緒なので、たまには親父さんの車でマリアと一緒に送り迎えしてもらう事もあった。が大抵の日は午後になると「庸夫(つねお)、頼んだぞ」といって、先に帰ってしまう。仕方なくマリアと工場を閉めて一緒に帰る日が多く、ピニェイロス教会の近くにロッタソンのポントがあり、そこまでテオドロ・サンパイオ通りを歩く。
 土曜日ともなれば、朝からマリアは美容院にいって、最高のおしゃれを施し、太って大柄だが、どこのお嬢様であろうかと思われるばかりの厚化粧をして、さっそうと私を用心棒の如く従えて、まるで番犬の扱い。
 道行く人の中には知り合いが挨拶を交わす。そんなときに冗談にでも「メウ・ナモラーダ」と言ってくれていたなら、又微笑ましくもあったろうけれど、「Ele é Empregado de meu pai」(この人は父の従業員)だった。その程度としか受け入れていなかった。
 それでもまだブラジルに来て2年ちょっとの産な私なれば、まあまあで、通りすぎていった。
 又あるときは、大雨で住居のあったジャルジン・ペリペリは低地なので、川が氾濫して、家の近くは膝小僧まで水に浸かる。そんなとき マリアはスカートを目繰り上げ、太股まで見える。我はそれを眺め悦に入ったものだ。
 工場内には職人が5、6人いて、そのなかでジョゼさん、日系二世が居て、どんな仕事にも経験豊富な職長だった。この人にはずいぶんと色んな事を教えて頂いた。他にルーベンスと言うイタリア系と若い者2人、それに塗装専門のおじいさんとジェレンテのマリアだった。
 この木工所で働くようになって、只一つの疑問に思うことが。それは、こんな小さな辺鄙な所にあるにも関わらず、ユダヤ人等の大きな店の改修、サントス海岸の目抜きの場所のアパルタメントの内装等と次々に契約を結んでくる事だった。こうした交渉には必ずマリアが当たるのである。週末にはよく外泊してくることもあり、女の魅力を充分発揮させて居るような感じだ。

大失敗した苦い経験

マルセナリアで働いていた青春時代に撮影した一枚

 その事はさておき、働き始めた頃の事、大失敗した苦い経験がある。それはArmário embutidos、アパルタメントに取り付ける洋服ダンスの図面を渡され、これを作って見ろと言う。
 日本で身に付けていた最高の技をふるって、扉も引き出しも一分のすきも無いようにきっちりと仕上げる。所がいざ取り付ける段に及んで大変な失敗に気づく。日本の部屋と違い、こちらの建物、アパルタメントにしろ、エレベーターで持ち運び出来るように工場で分解し、現場に持っていって組み立てられるようにしておかなければならない。
 日本の洋服ダンスの要領でみんなのりずけして、きちんと組み立ててしまっていたのだった。さてアパルタメントの上がり口のエレベーターに入らない。結局は鋸でひき、エレベーターに入る様にして運び込む。
 大変な手間を掛け、折角の技能も水の泡と化す。後になって思うのは、「どうして製作中に誰も声を掛けてくれなかったのか」ということ。「このジャポネース、どれくらいやれるか、お手並み拝見」と言う所ではなかったか。
 以後、数々のユダヤ人の用品店、改修一切、職長ジョゼーさん主導のもとに手掛けて行く。もともとブラジルに来る前から約4年間、指物大工職人としてやって来た積もりではあったが、洋服ダンス、事務机、戸棚、下駄箱等、こちらの仕事は全然スケールが違う。
 店内の天井張り変え、壁や化粧紙の張り替え、店の陳列 商品を納める棚、開店迄のありとあらゆる仕事を引き受ける。サンパウロ目抜通りピニェイロス、ラッパ、サントアマーロ、イピランガ区と次々に改装の仕事を請け負う。
 そういったある時、サントス海岸のポンタ・ダ・プライアでの出来事。これもユダヤ人の注文。アパルタメント内装の仕事を受け、予め工場で製作したものを現場に取り付けに行く。私とルーベンスというイタリア人職人と、それにマリアの3人が、2~3日の泊まり込みで行くことになった。
 昼間マリアは水着姿でプライアへ遊びに。時たま手伝ってくれるのであるが、太股をさらけ出した水着のまま足で押さえ、支えて持ったりしてくれるのだが、目がソチラの方に行って、気が散ってしよがない。
 夕刻になって、何か食事を買って来るように頼まれて、アパルタメントを下り 、どこか適当なものを売っている店を探し求めて、2、3百メートル歩き、やっと買い物していざ帰る段に及んで、出るときマークして置かなかったため、どの建物だったか、皆入口が同じなのだ。
 何処が自分のいたところか聞く方法もないまま、其の辺りをいったり来たり。その内あまり帰りが遅いのでルーベンスが探しに来てくれ、一件落着。

気になる二人の娘の存在

 そして其の夜の事、我々3人は各々部屋を別々にして休むことにする。昼間の疲れで寝静まった頃、真夜中になってマリアが私の部屋に入ってきて、「ニーチャン、今何時」と聞く。
 眠いので時計も見ずに「12時頃だろう」と言うと、「フーン」といって去って行ったのだった。
 後になって気付いたこと事だったが、「アーッ、しまった! あれは明らかに一夜を共にと言うシグナルだったか」。かえすがえすも残念に思う出来事であった。
 そういったプライアに建つアパルタメントは、サンパウロの実業家の持ち主が多く、2号や3号に住まわせて優雅に週末を過ごす場所なのだ。本妻はサンパウロの高級住宅に住まわせて。
 そうして次第に山田氏とも信頼関係が生まれ、週末等、暇の時、将棋を打ったり家族同様の関係が結ばれつつあった。
 そんなある日、家族の誰かの誕生会が開かれ、娘の多い家族であり、其の夜、バイレ(ダンス・パーティー)が始まった。
 私も招待を受け、隅っこの方に座っていた。20歳になって青春を謳歌することもなく、移住して来て只働くばかり。今迄ダンス等踊った事もない。皆楽しそうに騒いでいた。
 ふとどちらからともなく目と目が会うと言うか、誘われてレジーナと踊る事となった。ステップなど知らない。只音楽に合わせて足踏みしているだけなのに、不思議に彼女と意気投合。
 ぴったりと体を寄せあい、頬寄せあって暫しの間ウットリとベッサメー・ベッサメムーチヨ~。そうしている内に恥ずかしながら、私の下の息子がニョキニョキといきり立って来る。
 もう仕方ないので、彼女の股の間にいれておく。相手も気付いてくれていたのか、知らぬ顔して、股の間に挟んで居てくれた。そのまま右に左に体を動かすだけ。その内、音楽が終ってしまう。元の席に戻らなければならない。
 依然として下の息子は収まろうとしない。仕方なくポケットのなかに手を突っ込み、息子をしっかり捕まえて何とか元の席に戻る事が出来た。
 其の後、誰と踊ってもそのような感情にひたる女性はいなかった。それどころか足の先があたり、ひどいのはふんずけたり、早く音楽が終ってくれればよいと思うほどだった。
 もしあの時「俺と一緒になってくれないか」「婚約解消しろ」と言える勇気あったなら、又、我が人生もどの様に変わって行ったでであろうか。そうした事があって間もなくレジーナは婚約者、アウト・メカニコの青年の所に嫁いで行ったのであった。

新入り二世青年登場

 数々の経験も積み、仕事にも馴れ、家族からも信頼され、そういった折りのこと、一人の日系二世、私と同年代の青年が入社してくる。
 仲間が出来、その事について異存はないのだが、後で知る。私より彼の給料が多く支払われていたのだった。特別彼の方が仕事が出来ると言うわけでもなく、技術に於いても決して引け目を取って居たわけでもなく、私の方が先に入社している。
 強いて欠点と言えばブラジル語が充分に話せないと言うくらいで、今迄培って来たものは何であったのか。ほとんどの土曜日、日曜も祭日があっても休まず出仕事に(工場内、以外の仕事)にひたすら精を出し、早く仕上げ、お客さまに喜んで貰える様に務めて来た。
 時間外手当を含めれば月給20コント以上にはなっていたが、一年過ぎた今も基本給は変わっていない。それどころかいまだに従業員としての登録が成されて居ない事にもちょっと気掛かりでもあった。 
 「よし、それならばといつ首になってもよいように用意して置かなければ」と考える。我が将来の目的は、独立して身をたて、自分の事業を立ち上げることだ。それには経験を積み、資金もつくらなくてはならない。これからの時間外(オーラ・エストラ)、会社の仕事を打ち切り、自分のためについやす事に徹する。(続く)

 

 

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