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中島宏著『クリスト・レイ』第113話

 移民の末裔たちが、新しく来た移民たちの言語や行動を規制しようとするのは、ちょっとおかしいのじゃないかしら。自分たちの先祖はよかったけど、今の時代はもう、それは認められないというのも何だか納得いかないという感じね。まあ、外国から来た移民である私がこんなこといってみても、何の力もないということは分かっているけど、でも、ちょっと矛盾してるという感じは拭い去れないわね」
「それは、こういう新しい国では仕方がないことじゃないですか。こんなふうに、この国の形を変えていかないと、コントロールのつかない、それこそどこの国だか分からないようなことになっていくから、結局これは、この国の成長とともに現れてくる現象ともいえるでしょう。
 アメリカの場合は、移民の歴史が古い分、この現象が早く現れたけど、それが今、このブラジルにもようやく現れ始めたということでしょう。いずれこのことは、移民で成り立っている国々のすべてに起きていく、大きな流れということになりますね」
「そうね、あなたのいう愛国的な思想はやっぱり、こういう環境から生まれてくるということのようね。下手をすれば、この国が外国人で溢れるようになってしまったら、このブラジルという国の起源というか、根源のようなものがなくなってしまい、国の形そのものが失ってしまいかねないことになるわね。そういうふうに考えると、今、ここで起きていることは決して不思議でもなく、ある意味でそれは、当然ということになるかもしれないわね」
「やはり、この国は元々、移民の国として成り立ってきたのだから、放って置くと秩序も同一性も文化性も何もない、統制不可能な国になってしまいかねませんからね。ここに来てブラジルは、ようやくそこに気が付き始めたということでしょう。そういうことが今、この国で起きているということですよ」
「まだまだ、この国は若いということでもあるのね。それと比べると、私たちの国日本は、随分古い国ということになるわね。それはそれで歴史や伝統を感じさせて、いいところもあるけど、でも、私のように新しい世界に魅せられて、それに挑戦しようと考える人間にとっては、やっぱり、ブラジルのような若い国のほうが魅力的ね。マルコスはそう思わない?」
「もちろん、そのことについては何の疑いもありませんね。やはり、この国には未完成という名の、大きな魅力があります。僕は、この国で生まれ育ったことに対して、すごく感謝しているぐらいですから。
 でもねアヤ、一方で、日本とか中国のように、古い歴史を持った国にもある種の魅力を感じますね。特に、東洋の世界は僕にとって未知の世界でもあるから、そういうものを知ることについても、何というか、かなりの興奮を覚えますよ」
「それは、伝統というようなものに対してなの、それとも、神秘的な雰囲気といったものに対してなのかしら。いずれにしても、それらのものはこのブラジルではまったく見当たりませんからね。そういう、異質な形を持った文化というものに惹かれるということも、私なりにある程度理解できそうに思えるけど」
「そこなんです、僕の言いたいのは。つまり、古くから伝わる伝統とか文化を保存しながら、しかも、近代文明の流れの中を泳いでいけるということは、決して簡単なことではないでしょう。普通、あまりにも伝統を重んじると、それがむしろ足かせのようになって、近代のような世界に対応しながら発展していくことが難しいことになるはずなのだけど、その辺りを日本は非常にうまくやっているように見えますね。

 

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