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中島宏著『クリスト・レイ』第125話

「その両方かも知れないわね。特にこちらに来てしばらくは、その環境が日本とあまりに違い過ぎて、ちょっとしたショック状態だったわね。でも、そういうことは移民することの中に当然、含まれるものだし、これは私自身がしっかりしなければならないというふうに、自分を叱咤するようにして変えていこうとしたわ」
「つまり、努力したというわけだね」
「努力したというよりも、むしろ、本能的と言ったらいいのかしら。そういう新しい環境に対する挑戦のような気分が大きくなっていったということね。だから、意識的に努力したということともちょっと違うと思うの。
 ただね、私の場合は移民といっても、他の大勢の人たちと比べるとかなり事情が違ったから、その辺りは考慮する必要はあるでしょうね」
「というと、ごく一般の、農業移民の人たちとは違っていたということだね」
「そうね、私の場合は形の上では農業移民だし、実際に叔父と一緒にこの植民地に入って農業をやっているという点では、他の人たちと変わらないけど、でも、その他にカトリック教会の関係で、そちらの仕事も兼任することになっていたから、そういう点では、最初から安定した仕事に就いたということで、一般の農業移民の人たちとは、ちょっと事情が違っていたという意味なの」
「その代わりといってはおかしいけど、君はそれだけ早くブラジル社会と接して、ポルトガル語も覚えたし、ブラジル人とも知り合いになって、その分、ブラジルへの同化が早かったとはいえるだろうね。確かに君は、教会の一員として直接の命令で動いているわけじゃないけど、しかし教会はもともと、君を教育していこうという意図を最初から持っていたのじゃないかな。でなければ、教会の方で君をそこまで重要視することはなかったはずだよ」
「私が日本にいるときから、あのアゴスチーニョ神父に、ブラジルへ行って日本語教師をしてみないかと誘われていたから、教会としてはその頃から、そういう意図があったかもしれないわね。あなたもいうように、私はあの頃からちょっと変わったタイプの人間だったから、これならブラジルに連れて行っても大丈夫だろうと考えた可能性は十分にありそうね。そういう関係が今でも続いているということかしら」
「多分、というよりも、間違いなくそうだろうね。アヤのように、ブラジルに同化しやすいタイプの人間はそう簡単にはいないから、おそらく教会は君を手放さないと思うよ」
「だとしたら、ちょっと面倒なことになっていきそうね。だって、私はそこまであの教会の仕事のことを真剣に考えてこなかったから、ちょっと戸惑ってしまうという感じね」
「じゃあ、君は教会のことをいい加減に考えていたということになるね」
「あら、そういう言い方はないでしょう。それではまるで、教会の仕事なんてどうでもいいと私が考えているように聞こえるわ。それは、とんでもないことよ」
「あ、いや、ちょっと言い過ぎた。ごめん、君と教会とを侮辱したのだったら、この通り謝るよ。でも、真剣に考えていないとしたら、そんな印象も受けるように思うけど」
「私がいう真剣という意味は、自分のこれからの生涯を教会の為に捧げるだけの覚悟でやっているかどうかということなの。つまり、カトリック教会の活動に、自分の一生を捧げることができるのかということね。はっきりいって、今まで私はそこまでの考えは持っていなかったし、厳しくいえば、それは今でも持っていないわ。今、私がやっていることは、ボランティア的な範囲を出るものではないの。

 

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