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《記者コラム》目の前にいる見えない青年とインフレの魔物

「外出禁止」で路上生活者はどこに行けば良い?

アクリマソン地区にいる路上生活者

 感染爆発が止まらない日常生活の中で、「外出禁止」という言葉を何度も聞きながら、現実と噛み合わないものをいつも感じる。たとえば、朝の運動として歩いている間や通勤中に何十人もの路上生活者を見るが、常に「外」にいる彼らは、「外出禁止」と言われたとき一体どこへ行ったら良いのだろう、と。
 夜8時過ぎ、仕事を終えてビルを出ると、20代ぐらいの青年がよくいて「ボア・ノイチ」と礼儀正しく挨拶し、その後「カフェ代を恵んでくれ」と物乞いされる。彼はよく新聞社前の軒下に寝泊まりしている。
 そんなとき、この国で生まれ育った彼らが路上生活をしているのに、外国からやってきてまともなポルトガル語もしゃべれない自分たち外国人が人並みの生活をしていることに、なぜか「申し訳なさ」を感じる。
 コラム子は安月給で有名な邦字紙勤めだけに、裕福な生活をしているわけではない。だがとりあえず本人証明書、CPF、労働手帳を持ち、屋根や壁があるところに住み、たまにはフェイラで刺身を買ってきて食べたりもする。
 一方、路上生活者の青年は、寒くても雨が降ってもビル前の庇の下で、毛布一枚と段ボールで生活し、昼間は路上駐車する車の見張りをして小銭を稼いでいる。日常会話程度のポルトガル語は問題ないだろうが、新聞は読めないかもしれない。
 多分、高校も卒業していないだろう。彼がそうなったのは、誰に責任があるのだろうとよく考える。パンデミックが始まってから、そんな路上生活者や物乞いの数が明らかに増えた。
 調べてみたが、パンデミックでどれだけ路上生活者が増えたという記事は見つからなかった。
 だがコロナ禍直前の2020年1月30日付エスタード紙には《サンパウロ市の路上生活者はこの4年間で60%増加》(19日参照、https://noticias.uol.com.br/ultimas-noticias/agencia-estado/2020/01/30/populacao-de-rua-de-sao-paulo-aumenta-60-em-4-anos.htm)との記事があった。2015年調査ではサンパウロ市で1万5千人だったのが、2019年には2万4千人に、60%も増えたとある。
 サンパウロ市人口1232万人で、2万4千人を割れば0・2%になる。つまり、500人に一人が路上生活者だ。悲しいぐらいに多い。
 ちなみに東京都人口は927万人で、路上生活者は1126人(厚生労働省2019年調査)だから0・01%。1万人に一人という計算になる。つまり、サンパウロ市は東京都より20倍も路上生活者が多い。どうりで目立つわけだ。

統計上は不可視だが、目の前にいる路上生活者

 1月13日付CNNブラジルサイトの記事(19日参照、https://www.cnnbrasil.com.br/nacional/2021/01/13/especialistas-veem-aumento-de-populacao-de-rua-mas-nao-ha-dados-oficiais)はもっと衝撃的だ。
 この記事をかいたCNN記者もパンデミックで路上生活者が増えた実感があるので調べて見たという。そこで分ったことは、IBGEの国勢調査のサンパウロ州コーディネーターのワギネル・シルベイラ氏は「国勢調査は家ごとに行う。だから家がない人は調査の対象外になる。路上生活者を含めるなら、まったく別の調査方法を考え出さないといけないし、結果も変わるだろう」とコメントしている。
 IPEA(応用経済研究所)調査によれば、2020年3月時点でブラジル全国にいる路上生活者は22万2千人と推計されている。22万人あまりの国民が国勢調査の枠外とされている訳だ。
 目の前にいる路上生活者は、統計上は不可視、居ないことになっている。つまり邦字紙ビル前に寝泊りする青年は“見えない”存在なのだ。
 人口22万人の都市といえば、日本なら群馬県太田市、埼玉県上尾市、兵庫県宝塚市ていどの大きさだ。その人口が国勢調査から丸々外されているというのは驚きだ。

ゴミ拾いで生計を立てる皆さん(Wilson Dias/Agencia Brasil)

 同記事には、聖市セントロ区で路上生活者の救済活動を長年続ける、有名なジュリオ・ランセロッチ神父の次のコメントが紹介されている。
 《2020年1月に出されたサンパウロ市の路上生活者が2万4千人という数字も、私たちの仲間からすれば少なすぎる数字だった。そして、その頃より遙かに今は多くなっている。モッカ区にある共生センター(路上生活者の収容施設)だけで、パンデミックの前は毎月の最初の稼働日には4千人の世話をしていた。パンデミックになってからは、それが8千人だ》と倍増している可能性を示唆する。
 同神父が指摘するパンデミック後の特徴は、子連れの女性、家族連れがたくさんの混じっていることだという。
 テレビやラジオの生活苦に関するレポートの中で、リヤカーを引っ張る廃品回収者は「パンデミックになってから店が閉まってゴミが激減した」、空き缶拾いの人は「同業者が一気に増えた。昔は道ばたに〝お金が落ちてる〟感じだったが、今じゃいくら歩いてもいくらにもならない」と嘆いていた。
 都市生活の最底辺だけに、今の経済が実際にどうなっているかを如実に表している。犯罪増加など治安にも密接に関係するだろう。

パンデミックが引き起こす教育格差拡大

 路上生活者が増え、そこから這い上がれない原因の一つは、教育レベルの低さにもある。工場労働者としての能力が訓練されていない。
 昨年3月から多くの州の公立学校の門は閉められたまま。「世界最長の教育ロックダウン」をこの国は続けている。元々低かった教育レベルを、このパンデミックはさらに引き下げている。
 G1サイト3月17日付によれば、《パンデミック前から公立校生徒の50%は期待される文章読解力レベルを下回っていたが、13カ月の学校閉鎖を経た今71%に達している》という。
 これは世界銀行が17日に公開したブラジルの生徒に関する報告書だ。パンデミック前には期待された文章読解能力をもたない生徒が50%だったのが、学校閉鎖7カ月目には59%に増え、10カ月後には64%、13カ月後には71%に激増している。
 この間、オンライン教育に適応して学習を続けている子供もいる。だが、公立校に通う子供にはインターネット環境持たず、家にパソコンがない場合も多い。それがあったとしても、幼い子供ほどオンライン教育に集中できず、注意散漫になって学習が進まない傾向が強いと聞く。
 やはり学校に実際に行って、経験豊かな教師から学習刺激を与えられながら、同級生と楽しく学校生活を送ることで、学習効率を上げ、人格成長に影響を与える。
 学齢期の子供にとっての13カ月間は、大人になってからの人生を左右する重要な時間だ。それを自宅で無為に過ごす。パンデミック後に、それを取り戻すには相当の努力が必要だろう。
 たとえば、日本で学校閉鎖していた期間はたった3カ月だった。ユニセフ(国連児童基金)は昨年12月15日、事務局長が声明を発表し、子供たちへの学びの保障のために教師への新型コロナウイルスのワクチン接種を優先すべきだと各国政府に呼びかけた。
 米疾病対策センター(CDC)の諮問委員会も、昨年12月20日、ワクチンの優先接種対象に関する提言をまとめ、既に接種が始まった医療従事者らに続いて、教師も優先すべきだと勧告した。ロサンゼルスでは実際に3月1日、ワクチン接種対象に教師などの学校関係者が拡大された。

学校閉鎖の悪影響を報じるG1サイト記事(19日参照、http://g1.globo.com/educacao/volta-as-aulas/noticia/2021/03/17/escolas-fechadas-poderao-afetar-leitura-de-7-em-cada-10-estudantes-do-brasil-/)

 残念なことに、ブラジルでは教師は優先対象に入っていない。
 文章読解力は、国語、数学、理科、地理、歴史など何を勉強するためにも最低限必要な能力であり、しかも母語でそれができなければ外国語での習得は夢のまた夢だ。
 10年後、20年後の将来に関して、確実に言えることがある。まともな仕事に就けない公立学校卒業生を大量生産し、賃金格差は更に大きくなり、現在でも世界最悪の社会格差をさらに押し広げることだ。
 文章読解力すら持たない子供たちが、どれだけ今の複雑な社会の仕組みを理解できるのだろうか。どうやって勤勉に働くことを学び、政治家の言っていることの真偽を判断し、詐欺から自分の身を守るのか。路上生活者になったらどうやって家のある生活にもどれるのか。

「ブラジルはスタグフレーションに備えよ」

 経済回復に向けて、唯一の打開策であるはずのワクチンだが、相変わらず不足が続いている。連邦政府は解決に無策であり続けている。今年中に成人全員に打ち終わるには、毎日100万回分以上の接種が必要なのに、今のところその3分の1以下の30万回分程度しかできていない。
 「集中治療室が満杯で、列で待っている間に亡くなるコロナ患者が毎日出ている」「あと数日で医薬品の不足が予想される州があちこちに出てきた」という医療崩壊の報道が先週から始まり、聖市のフォルモーザ墓地で葬儀崩壊始まったとの報道もこの週末から聞くようになった。国全体が切羽詰った状態だ。これから感染爆発の最悪期が訪れるとすれば、これが経済に与える打撃も昨年以上に大きい。
 そんな中、ドイツDWサイトのポ語版は恐ろしい記事を出した。《ベルトを締めて、ブラジルのスタグフレーションに備えよ》(https://www.dw.com/pt-br/apertem-os-cintos-o-brasil-ruma-para-uma-estagfla%C3%A7%C3%A3o/a-56917576)というものだ。
 ブラジルのインフレを「ジャンボジェット機」に喩え、それが今まさに飛び立とうとしているから、シートベルトを締めよと警告している。17日、ブラジル中央銀行がSelic(経済基本金利)を2%から2・75%へ上昇させたことに関する解説記事だ。
 では「スタググレーション」とは何か。SMBC日興證券サイト(https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/su/J0293.html)の説明は、こうだ。
 《スタグフレーションとは、景気が後退していく中でインフレーション(インフレ、物価上昇)が同時進行する現象のことをいいます。この名称は、景気停滞を意味する「スタグネーション(Stagnation)」と「インフレーション(Iinflation)」を組み合わせた合成語です。
 通常、景気の停滞は、需要が落ち込むことからデフレ(物価下落)要因となりますが、原油価格の高騰など、原材料や素材関連の価格上昇などによって不景気の中でも物価が上昇することがあります。これが、スタグフレーションです。景気後退で賃金が上がらないにもかかわらず物価が上昇し、資産価値が減っていくという生活者にとって極めて厳しい経済状況といえます》
 「ついに来たか!」と思わせる記事だ。

レアル安、物価高の中でコロナ禍による経済停滞

 約6年ぶりのSelic上昇であり、市場関係者の大方の予測(0・5%)を上回る数字だった。その理由を、同記事はインフレ高騰を強く懸念したからだとする。
 12カ月間の累積インフレ率はすでに5・2%。中銀予測範囲の上限が5・25%だから、すでにギリギリまで来ている。しかも、生活者の実感としてはそれよりも遙かにインフレ率は高い。
 このインフレ高騰の背景には、昨年前半だけで30%も下落したレアル安がある。レアルが安くなれば、輸出競争力が高まって中国などからの食糧への買いが増え、国内に回す分が減って値上げが起きる。
 エネルギーも為替に大きく関係する。国内の原油精製能力が少なすぎて、国内需要分を処理できない。いったん原油を輸出して精製して輸入し直す行程があるため、ガソリン価格は為替に大きく影響を受ける。ガスはほぼ輸入に頼っている。
 そのようなメカニズムの中で、大豆油の価格はこの1年で90%上昇し、米は(70%)、フェイジョン豆(60%)と大幅に値上げした。生活必需品ばかりだ。ジャガイモしかり、牛肉しかり。
 しかも、ガソリン価格は年初からの3カ月弱で40%以上も値上がりした。ガソリンが上がれば、トラックによって輸送される全ての物資の価格に反映され、物価を押し上げる。台所に欠かせないガス・ボンベの価格にも直撃している。全てインフレ要因だ。
 そのため、ボルソナロ(Bolsonaro)と高値(caro)をもじって「#Bolsocaro」というキーワードがネット上で流行しており、スーパーのCM風風刺動画(https://www.youtube.com/watch?v=lKlGqthuOtE)が話題を呼んでいる。


 生活実感よりも常に過小評価した数字しか出さない拡大消費者物価指数(IPCA)ですら、インフレ上限値まで来ているということは、生活者が感じている実際のインフレはその数倍であってもおかしくない。
 しかも、パンデミックの最中だ。2020年の国内総生産はマイナス4・1%。経済省は17日、今年のそれを3・2%プラスと強気の発表をしたが、それでも昨年の損失分を取り返すことすらできない。実質的な成長開始は2022年になる。もしも今年もマイナスになるような事態になったら…。
 その間、経済は停滞し続け、インフレは高進する。まさにスタグフレーションではないか。

インフレという魔物の再登場で金融緩和終了か

 今後予想されるのは、インフレを抑えるために、中銀が通貨流通量を減らす、つまり金融緩和をやめることだ。金利が高くなると、ブラジル人や投資家はお金を使うのではなく、投資することを好むようになる。
 ゲデス経済相は先進国ぶって「マイナス金利+金融緩和」を進めてきた。だが、ブラジル経済の「魔物」ともいえるインフレを目覚めさせてしまった。いままでの「マイナス金利+金融緩和」の破綻を宣言したのが、中銀のSelic急上昇ではないか。「インフレ」という魔物をなめてはいけないことを、中銀は分っているのだろう。
 今まではSelic2%、インフレ5%と、実質金利は3%マイナス状態だったから、リスクをとって株式市場や建設・不動産関連で儲けようとする動きが強かった。だが今後はSelicが登り基調に転じた中で、再び安全な国債などに投資が戻る可能性がある。
 その流れの中で、ブラジルが再び高金利になれば、外国投資家がそれに惹かれて、ドルを売ってレアルを買う動きが強まり、レアルが再び強くなる可能性がある。
 DW記事の締めは《中国や米国、そしておそらく近い将来の欧州が大幅に回復する一方で、ブラジルは停滞したままで、同時にインフレと戦わなければならないという最悪の事態に陥っている。
 著名な経済学者であるソランジュ・スロール氏は、ブラジルがスタグフレーションに陥っているのではないかと考えており、これでは国民の貧困化がさらに進んでしまうとする。スロール氏は、「インフレという魔物が瓶から出てしまうと、それを元に戻すのは難しい」と警告した》というものだ。
 感染がダラダラと続き、スタグフレーションになれば、今後さらに「不可視な国民(路上生活者)」は増え、「世界最長の教育ロックダウン」は延長されるだろう。「百年に一度の国難」とも言えるこんな難しい時期に、経済音痴でイデオロギーの塊のような大統領がこの国の舵取りをしていることは、国民にとって不幸としか言いようがない。(深)

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