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《記者コラム》パウロ・グスターヴォが残したもの

パウロの演じたドナ・エルミニア(facebook)

パウロが演じたドナ・エルミニア(facebook)

 4日、コメディアンのパウロ・グスターヴォがコロナ感染症で死亡した。
ブラジルに来て10年強、ブラジル人たちが芸能人の死でここまで悲しむ姿を見たのは、コラム子の見る限りはじめてのことだった。
 「今、誰もが生活で直面しているコロナウイルスでのことだから、余計に感情的になった」というのもあるとは思う。だが、仮にそれを差し引いても、今回のパウロの死と、それに伴うブラジル芸能界が失うものを悲しみ、将来を懸念する声は非常に目立っている。
 それはさしずめ、昨年3月、日本が国民的コメディアン、志村けんを失った時を思い出させる。いや、享年で70歳だった志村に対し、まだ42歳と、これから全盛期を築けた年齢だったパウロのほうが、未知の将来性があった分、そのショックが大きかったと言えるだろう。
 生前、コラム子はそこまでパウロに注目していたわけではなかった。だが、意識するしないに関係なく、彼の姿はテレビをつけても、映画館に入っても、街中を歩いても、どこでも目に入ってきたものだった。

 一番見た姿は、やはり彼の最大の代表作「ミーニャ・マンエ・エ・ウマ・ペッサ」での主婦、ドナ・エルミニアだ。頭にカーラーを巻きつけたまま外出する、パウロが女装して演じるキャラクターだ。
 思い返せば、この役での彼の演技は本当に見事だった。恥ずかしい話、コラム子は指摘されるまで、しばらくの間、エルミニアを本当の女性だと信じていた。それは、演じる際の声を聞いてでさえそうだった。甲高いその声は、声の低めの一般女性よりも高いくらいだった。
 だが、死後に改めて「ミーニャ・マンエ・エ・ウマ・ペッサ」を見て、ドナ・エルミニアを通してパウロが表現しようとしていたものに深みがあることがわかった。エルミニアは、ブラジルにならどこにでもいそうな中年女性。時や場所をわきまえて遠慮などすることもなく、自分の感情にまかせて大きな声で自己主張するキャラクターだ。
 それが時としてトラブルを巻き起こしてしまうのだが情に厚く、憎めない人柄。この、「自分の身の回りにもどこかいそう」な親近感こそが人気の秘訣になっているようにコラム子は感じた。
 この文化的普遍性こそが、パウロがゲイという、保守派が嫌う要素を持っていながらも広く愛された理由だろう。かのボルソナロ大統領までが彼の死の際に弔辞を送っているが、聞いた話によるとミシェレ夫人がファンであったようだ。
 かなりブラジル大衆文化特有のキャラクターであることに加え、ブラジル映画の脚本、撮影、音声技術の低さなどもあり、パウロの映画が国際的に知られることはあまり期待はできない。だが、国内では今後も長く忘れずに愛されることになるだろう。(陽)
 

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