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ブラジル女子卓球代表のオヤマ監督=浜松から五輪直前の生の声聞く《上》=「目の前のコンビニに行けない」

オヤマ・ウーゴさん

オヤマ・ウーゴさん

 「ホテルの目の前のファミリーマートにも行けません。母親が好きな日本の海苔やカレー、マヨネーズ、100円ショップのお土産も買えません」――4回目の非常事態宣言下で開催される異例の東亰オリンピック・パラリンピックがいよいよ23日から開幕する。ブラジル男子卓球代表として4度のオリンピックや世界大会を体験してきた強者オヤマ・ウーゴさん(52歳、サンベルナルド・ド・カンポ出身)だが、冒頭の一言にあるように過去の大会とは大きく異なっているという。パラナ州クリチーバの兵庫県ブラジル事務所(永田展之所長)がホストとなり、ニッケイ新聞とジョルナル・ニッパクは16日午前9時半から、13日から日本入りして静岡県浜松市で最終調整をするブラジル女子卓球代表監督のオヤマさんに、五輪直前の雰囲気をウェブ上でインタビューした。

オヤマ監督と卓球と日本

 ブラジル卓球界をけん引するオヤマ・ウーゴさんは、7歳の時、サンベルナルド・ド・カンポの日本語学校で卓球に出会い、クラブで練習を始めた。1980年にサンパウロのジュニアチャンピオンとなり、1985年にはインターンシップで日本へ渡り、日本大学で指導を受けた。
 「日本は私の初めての海外旅行先でした。ブラジルの選手として卓球を学びに行き、その後も練習や試合に参加するため、何度も日本に行きました。高知県と三重県出身の祖父母から教わった日本文化にいつも助けられ、日本でもあまり苦労せずに過ごせました」
 インターンシップからの帰国後、オヤマさんは17歳で初めてブラジルの成人代表チームに招聘された。その後、スウェーデンやベルギーのクラブでプレーしながら、オリンピックでは1992年のバルセロナ大会以降、アトランタ、シドニー、アテネと4度もブラジル代表選手として参加した。
 「最も好成績だったオリンピックは1996年のアトランタ大会です。9位でしたが、当時の世界チャンピオンだったスウェーデン人選手に勝てたことは、強く記憶に残っています」と、オヤマさんは振り返る。

卓球の練習するオヤマ・ウーゴさん(写真提供:オヤマ・ウーゴ)

卓球の練習するオヤマ・ウーゴさん(写真提供:オヤマ・ウーゴ)

 2007年にリオ・デ・ジャネイロで開催されたパンアメリカ大会では、男子卓球団体戦でチャンピオンに輝き、9個目の金メダルを獲得した。1987年に同大会に初出場して以来、オヤマさんはブラジル人が個人で獲得した金メダル数で最多を記録し、一躍時の人に輝いた。
 2013年からブラジル代表の卓球監督を務めるオヤマさんは現在、東京オリンピックのブラジル女子卓球代表監督や、サンベルナルド市の卓球監督を務めるほか、インスティトゥート・オヤマを運営し、卓球を始めたい人や私立学校の子供たちに卓球を教え、ブラジルでさらに卓球が人気になるプロジェクトやイベントを企画している。 
 「私はいつも学校で選択制の授業に卓球を取り入れるように話しています。新しいスポーツを覚える機会にもなりますし、しつけや礼儀を身につけられ、トップアスリートにはならなくても、立派な人間として勝利を手にするチャンスが得られます」。オヤマさん自身、指導を受けた小林マウリシオ監督から、若いころは何度も叱られて、集中して自分のベストを尽くせるように成長させてもらったという。
 卓球を始めてから毎日練習を欠かさず、強い選手になりたい一心で毎日8時間の練習に励み続けた時期もあった。卓球への情熱が現在のオヤマさんを育てた。
 「最初は好きから初めて、卓球が仕事になりました」(大浦智子さん、続く)

 

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