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中川トミさん逝く=百歳、最後の笠戸丸移民

2006年10月12日付け

 第一回笠戸丸移民の中で唯一の生存者だった中川トミさんが十一日早朝、老衰のためロンドリーナ市で亡くなった。享年百歳。今月六日に百歳の誕生日を迎えていた。通夜は同日夜、同市内の西本願寺で営まれた。十二日午前九時から同じ西本願寺で告別式、十時に出棺し、市内の中央墓地(サン・ペードロ墓地)に埋葬される。
 亡くなったのは十一日の午前四時から六時ごろ。眠っているトミさんの様子がおかしいのに気づいた家族が救急車を呼んだが、到着した時には亡くなっていたという。
 今月十五日には百歳の誕生会を控えていた。ロンドリーナ文体協(ACEL)で祝賀パーティーが予定されており、すでに招待状も発想していたという。「欲を言ったらきりがないけど、せめてあと一週間生きていてくれたら」と、長男の渡さん(75、ロ市在住)は声を落した。
 中川さんは一九〇六年十月六日、熊本県熊本市で出生。一九〇八年六月十八日、第一回ブラジル日本移民船「笠戸丸」で両親、二人の姉とともに着伯した。当時一歳八カ月だった。
 一家はサンパウロ州モジアナ線のズモント耕地、ソロカバ線の耕地などを経てサンパウロへ。一八年に同県出身の上塚周平氏とともにサンパウロ州プロミッソンへ移った。結婚後、プロミッソンからマリリア、ノロエステ線ボンスセッソ植民地などを経て、五二年からパラナ州ロンドリーナで暮らしていた。
 男女七人の子どもを育てたトミさん。三十三人の孫、ひ孫に加え、玄孫も二人いた。日本政府から勲六等瑞宝章を受章。二〇〇四年にパラナ州名誉州民、今年六月にはかつて暮らしたプロミッソン市議会から名誉市民証を受けている。
 晩年は、同市に住む二人の娘の家に滞在していた。十年ほど前に脳溢血を患い、外出先では車いすを使っていたが、家の中では歩行器を使って歩いていたという。
 「おとといもタケノコを持っていって話をしたところです」と話す渡さん。プロミッソンの名誉市民証を受けた折も同地を訪れたほか、先月三十日には、二男の光雄、トメ夫妻の結婚六十五周年記念パーティーに出席して四曲の歌を歌うなど元気な様子だったそうだ。
 今月に入り体調を崩して二日ほど病院に入ったが、その後は元気を取り戻していた。入院した時も「医者から心臓は弱っていると言われたが、病気はなかった」という。
 笠戸丸移民の生存者は、一九九八年の移民九十周年の時点で、すでにトミさん一人となっていた。最後の笠戸丸移民と呼ばれ続けたことについて、渡さんは「笠戸丸で生きているのは自分だけだからと、本人も喜んでいましたよ」と、在りし日の母親を偲んだ。
 ブラジル日本移民の歴史と重なり合いながら齢を刻んできたトミさん。享年百歳の大往生だった。

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