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移り住みし者たち=麻野 涼

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第52回

ニッケイ新聞 2013年4月12日  こうなったら話し疲れるまで仁貞は止まらなかった。母親のこの性分には慣れているはずの幸代も辟易した。総連の係を口汚く罵る母は、幸代にはしつこいというよりもくどいとしか感じられなかった。  仁貞の怒りが治まった頃、幸代が聞いた。 「アボジ(お父さん)たちの居所はどうすれば調べてもらえるのかしら」 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第50回

ニッケイ新聞 2013年4月10日  船内には古いペンキの匂いが立ち込め、トイレは不衛生でアンモニアの匂いが鼻を刺激した。食堂にも米がすえたような異臭が立ち込めていた。幸代は姉のお下がりのスカートを着ていた。制服も私服も幸代はすべて姉のお下がりばかりで新品を着た記憶がない。しかし、帰国者の世話をするために乗船していた北朝鮮の女性 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第49回

ニッケイ新聞 2013年4月9日 「思いついたように帰らなくても、祖国が統一されてから帰ったっていいでしょう。あと一年すれば幸代も小学校を卒業する。それからだって遅くはないよ」 「帰ると言ったら帰るんだ。一日も早い方が子供のためだ」  しかし、仁貞は最後まで帰国に同意しなかった。いくら朝鮮総連が衣食住のすべてを保障するといっても ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第48回

ニッケイ新聞 2013年4月6日  日本への失望が大きい分、北朝鮮は眩しく輝いて見えた。容福自身も総連に通い、帰国手続きに関する資料を集め始めた。楽しそうに神奈川県の総連に足を運ぶ容福は祖国に一歩一歩近づいているような気分だったのだろう。  新天地ではすべてが一から始まるのだ。祖国建設に燃え立ち上った同胞が在日を温かく迎えてくれ ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第47回

ニッケイ新聞 2013年4月5日  金寿吉は忍耐強い性格で、どんな差別にも耐え忍んできた。しかし、差別されたまま一生を終えていくことに抑えがたい怒りがあったのだろう。帰国を考えるようになったもう一つの理由は、多くの同胞が北へ次々に帰国していったことだ。  北朝鮮への帰国は一九五九年から始まった。朝鮮総連によって北朝鮮は「発展する ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=46回

ニッケイ新聞 2013年4月4日  コンデの坂はプラッサ・リベルダーデ(リベルダーデ広場)まで続く。この広場を左折するとガルボン・ブエノ街で日系人、韓国人、中国人が構成する東洋人街の中心地にあたる。児玉はここにある明石屋に立ち寄った。  経営者は戦後移民で、ブラジルのお土産や宝石を扱う店だった。児玉は絵葉書を適当に五、六枚ほど引 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=45回

ニッケイ新聞 2013年4月3日  あれはいつだったのだろうか。四人とも泥酔状態で折原の下宿に転がり込んだ。何の話題からそうなったのか、児玉は思い出せない。おそらく将来のことについて話し合ったのだろう。 「わしは小説ば書きたか。小説ば書いて世に問うてみたいことがあっとよ」  折原は酔うと九州の訛がさらに出た。 「どんな小説を書き ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第44回

ニッケイ新聞 2013年4月2日 「あんたが足を大開きにしているからぶつかったんだ。お互いさまだ。あやまるもんか、このチンピラアロハ」  やくざ風の男はチンピラと言われ、冷静さを完全になくしてしまった。 「次の駅で降りろ。話をつけてやる。てめえただじゃおかねえぞ」  あれだけ飲んで千鳥足になっていた越生も座席から立ち上がった。高 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第42回

ニッケイ新聞 2013年3月28日  うずくまる学生の足のつま先を狙って盾を垂直に叩き付けた。数の上では圧倒的に学生の方が優勢だが、訓練を積んだ機動隊の前には学生はあまりにも無力だった。うずくまり、身動きの取れなくなった学生を踏み付けるようにして機動隊は学生を制圧していった。  児玉はどこをどう逃げたのか、機動隊に追われながらも ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第41回

ニッケイ新聞 2013年3月27日  彼らが学生運動に消極的なのは、自分たち自身の中にも挫折感が渦巻いていたからに他ならない。高校生三年生だった頃、東大安田講堂の攻防が展開され、全共闘運動と無縁でいたわけではない。いやがおうでもその流れに巻き込まれてきた。  東大入試が中止されたその年の二月頃から、新宿駅の西口広場ではフォークゲ ...

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