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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=45回

ニッケイ新聞 2013年4月3日

 あれはいつだったのだろうか。四人とも泥酔状態で折原の下宿に転がり込んだ。何の話題からそうなったのか、児玉は思い出せない。おそらく将来のことについて話し合ったのだろう。 「わしは小説ば書きたか。小説ば書いて世に問うてみたいことがあっとよ」  折原は酔うと九州の訛がさらに出た。 「どんな小説を書きたいんだ」  越生が聞くと、折原は真顔で答えた。 「五木寛之の作品なんてわしにも書ける」 「おまえ、大きくでたなあ……。でも、おまえに五木文学がわかっているのか」  越生が議論を吹っ掛けるように言った。 「ビールを飲み過ぎたと、トイレば行ってくる」 「折原、逃げるのか」  越生が例によって絡んだ。折原はそれを無視して席を立った。その時、児玉は確かに見た。折原の目に涙が光っているのを。折原の涙に気づいたのは児玉だけのようだった。いや、金子も気づいただろう。しかし、見てはいけないものを見てしまった子供のように、児玉は口を閉ざした。金子も同じ気持ちだったかもしれない。  それ以後、児玉は折原が書きたいという小説について聞くことはなかった。むしろ意識的に避けてきた。避けるようにしてきた分、児玉の意識の奥深い所で疑問が沈殿していた。  父親の自殺が涙の理由だったのか、本人に確認してみない限りわからないことだが、児玉の心の中では確信に変わっていた。  取材を終えて会社に戻る車の中で、児玉はほとんど口を聞かなかった。運転手のアントニオが何を話し掛けても黙ったままだった。さすがのアントニオも気味が悪くなったのか、カーステレオのボリュームをあげて鼻歌を歌いながら運転を続けた。  児玉は車窓に流れる砂糖黍畑をぼんやりと見つめながら、折原のことを考えていた。父親の非業の死はまだ幼かった折原の脳裏に焼きごてのように押され、その傷はいまだに癒されていないと思った。折原はその傷を一生背負っていくのかもしれない。 「〈青春の門〉なんて、わしにも書ける」  と、言った折原の心の暗部を児玉は垣間見たような気分だった。  編集部に戻ってからも、折原のことが頭から離れなかった。その日の原稿を早々と書き上げたが、飲みに行く気にもなれずにコンデの坂を上ってガルボン・ブエノ街に出てみた。コンデの坂と呼ばれるコンデ・デ・サルゼーダス街は急な坂道で、両側には古い家屋が立ち並ぶ。ここは戦前の日系社会の中心地だった。  戦争が始まるとここに住んでいた日系移民に二十四時間以内の退去命令が出された。ブラジル移民はアメリカに渡った移民のように強制収容所に送られるようなことはなかったが、強制退去を命じられ、着の身着のままで奥地へ転居しなければならなかった。  サントス港周辺に住んでいた移民も強制退去を命じられた。きっかけはアメリカに向かう輸送船がドイツの潜水艦に撃沈され、多数のブラジル船員の遺体が海岸線に漂着した。日系移民の中にドイツに情報を送っているスパイがいるというのが退去命令の理由だった。それでもブラジルの日系移民がアメリカほど迫害を受けなかったのは、すでに日系人の社会的貢献度が大きくなっていたからだ。特に農業分野における日系移民の影響力は絶大で、身の危険を感じて、市場への野菜出荷や販売を取り止めたら食料不足に陥った地域まで現われた。  昔の面影といえば古い家並みだけで、今はこの周辺には日系人の他に、韓国人移民、中国人が多数住み着いていた。児玉はコンセレイロ・フルタード街を突っ切ってさらに坂を上った。左手にホテル池田がある。ここのレストランで児玉も時々、昼食を摂っていた。横浜の西洋軒でコックの修行をしたというオーナーが作るブラジル料理が結構、口になじんだ。奥地の移民がサンパウロに出てきた時によく利用されるホテルで、奥地の情報を仕入れるにはもってこいの場所でもあった。 著者への意見、感想はこちら(takamada@mbd.nifty.com)まで。

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