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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年

ニッケイ新聞 2013年6月22日付け

105周年を迎えた日本移民史の中で、〃最初〃という枕詞をつけてひたすら繰り返された「笠戸丸」、その船を運行した皇国植民会社の水野龍の存在には突出したものがある。だが同じ時期に「日本人植民地」創設を実現させた青柳郁太郎(1867―1943、千葉県)の存在はあまり目立たない。1913年に創設した桂植民地を皮切りに、第二にレジストロ、第三にセッチ・バーラスと拡張し、「イグアッペ植民地」と総称した。なぜ青柳は移民でなく「植民」にこだわったのか、そしてなぜイグアッペを選んだのか。時まさに日露戦争の前後、明治時代後期は日本近代史の分かれ目だった。青柳を表看板にすえて南米への移住計画を推進したのは誰で、どんな考え方だったのか。レジストロ地方入植百周年を機に、この地方に限らない幅広い歴史的な視点から、今だから見える日本移植民の原点を探った。

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (47)=輪湖、海興本部訪ねる=水野「信州は移植民を」

ニッケイ新聞 2013年9月17日  レイス法案に対して、親日派議員オリヴェイラ・ボテーリョはサンパウロ州の日本人集団地を巡回視察し、イグアッペにも足を伸ばし、数十頁にわたる報告意見書を作成して1925年7月8日に下院財政委員会で朗読し、《徹頭徹尾日本移民のために有利であり、レイス法案中の黄色人種移民制限条項は、これによって粉砕 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (46)=3度目の移民流入途絶=止めのレイス法案提出

ニッケイ新聞 2013年9月14日  当時の日本側の「脱亜入欧」という意識は、日清日露両戦争の勝利によって確固たるものになり、第一次世界大戦も経て、日本人自身は西洋列強の仲間入りした気分になっていた。その中で「日本人の海外発展」という方法を巡って、満韓、南洋、南米かというせめぎ合いが行われていた。  その一方で、西洋側では日本人 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (45)=米騒動と米作移民の関係=青柳の密約「珈琲禁止」?

ニッケイ新聞 2013年9月13日  1918年当時、米の安定供給は日本の生命線であった。戦争気運と共に米価が上昇する祖国の時代情勢は、日本移植民にどんな影響を与えたのか。実はこの当時、ブラジルにはすでに米作自作農がかなりいた。つまり「〃金のなる木〃珈琲」のあるブラジルで、多くの日本人はせっせと米を作ろうとしていた。  1913 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (44)=輪湖「今のうちに植民増やせ」=海興が実権握る前に自治を

ニッケイ新聞 2013年9月12日  移民会社が合併した海興の中心業務は移民労働者(コロノ)輸送であり、サンパウロ州政府の渡航費補助さえあれば、誰でも渡伯が可能だった。だから多くの日本人がとお金を稼いでさっさと帰国しようと考え、「〃金のなる木=珈琲〃のあるブラジルへ」との掛け声に応じてデカセギ渡伯をした。  しかし、イグアッペは ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (43)=「教育県から移民県へ」=信州から続々と草分け

ニッケイ新聞 2013年9月11日  「父は最初から永住するつもりできた」。1917年のレジストロ第1植民団の一人、松村栄治(1894—1988)を父に持つのが、昌和(91、二世)=3月11日取材=だ。1921年12月に同地で生まれて、今もそこに住む最古参だ。父栄治は23歳の頃、長野で記者をし、衆議院議員に出馬した降旗元太郎(信 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ =(42)=治の遠大な旅路の終着点=「父は好きなように生きた」

ニッケイ新聞 2013年9月10日  聖南の〃日本村〃レジストロは、何人もの明治男子の遠大な旅路の終着点として選ばれた地だった。佐々木定一は最初、南米の太平洋岸ペルーに移住したが、歩いてアンデス越えをし、アマゾン河流域にも定住の地を見つけることが出来ず、さらに南下してサンパウロ州ノロエステ線でも腰を落ち着けられず、最終的にレジス ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (41)=〃南米浪人〃岡田芳太郎=蝸牛の如く徒歩16万キロ

ニッケイ新聞 2013年9月7日  当時レジストロ地方の植民地開発の魅力は広く知れ渡り、世界から日本人が集まっていた。なかでもレジストロで客死した〃世界徒歩旅行家〃岡田芳太郎は、謎の経歴をもつ人物だ。  日伯新聞1933年2月16日付け「徒歩旅行家岡田氏 レヂストロで客死」「足跡南北米に普く 行程実に十六万キロ」との記事があり、 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (40)=満韓か、南洋か、南米か=分かれる国権論者の思惑

ニッケイ新聞 2013年9月6日  1910年代の日本において「海外発展」の方向性は、満韓か、南洋か、それとも南米かという大きな分かれ道に来ており、それぞれの立場から懸命に試行錯誤が繰り返されていた時代だった。  1914(大正3)年にブラジルを実地調査して『ブラジル移植民の真相』(以下『真相』)を著した伊東仙三郎は、イグアッペ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (39)=伯剌西爾拓殖から海興へ=〃百年の大計〃と営利事業

ニッケイ新聞 2013年9月5日  1916年、伯剌西爾拓殖株式会社は第1回募集の失敗、植民地内の先住ブラジル人との土地問題解決、道路造成、資金欠乏などに苦しんでいた。さらに1917年の第2回募集も不振で、《拓殖事業の継続の為には、何等か採算的な有利事業を併営して、その利益に依る外なしとの案も出て(中略)遂に移植民会社合同統一の ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (38)=300家族募集にたった4家族=まったく集まらない入植者

ニッケイ新聞 2013年9月4日  青柳の国士的熱誠によって進められ、期待を集めていたイグアッペ植民地事業だったが、実は肝心の入植希望者が集まらず、苦心していた。  神戸大学附属図書館サイトによれば、1912年8月21日付け東京朝日新聞の「ブラジル殖民計画」という記事には、イグアッペに関して《一月までには第一回の移民を為す可く目 ...

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