連載
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第50回パウリスタ・スポーツ賞=輝かしい歴史=連載(2)=名選手から監督へ=コロニア球界に寄与
2006年3月8日(水) パウリスタ・スポーツ賞野球部門は第二回(五八年)に始まった。 同部門初の受賞者は戦前からの野球マン、広田栄一さん(84)である。 埼玉県出身。一九三六年十五歳の時に家族
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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(終)=ペ・バレット=手厚いもてなしに感嘆=若者、駐在員も関心寄せる
2006年3月7日(火) 二月六日午後七時過ぎ、ペレイラ・バレット文化協会の会館で、曹洞宗の中山允、真光、両僧侶によって、厳かに般若心経が唱えられ、一行は順繰りに焼香してチエテ開拓先亡者を慰霊した。
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25年=交流協会生コロニアと共に=OB編4=連載(9)=自分にしかできない体験=石田さん=自信得て今の原動力に
2006年3月4日(土) すぐには再来伯できなくても、駐在員としてブラジルで働く協会生OBが多い。「帰ってからも七年間ブラジルへの想いを胸に抱いていた」という田辺裕之さん(32、十六期生、静岡県出身
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今年の大統領選挙をこう考える=ソール・ナッセンテ人材銀行代表=赤嶺 尚由=連載第5回
2006年3月3日(金) IFMへの一五〇億ドルの負債を前倒しで一括返済したこと、レアル高とドル安と言う逆風が吹く中で、何とか輸出の好調に支えられて四五〇億ドルを目前とした史上最高の貿易黒字を達成し
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25年=交流協会生コロニアと共に=OB編3=連載(8)=日本にいても心はいつも…太田さん「ブラジル音楽」へ
2006年3月3日(金) どうしようもなくブラジルに魅せられた―。一年の研修を終え、帰国後ブラジルに戻ってくる交流協会生は多い。「まだまだやり残したことがある」ともう一度、ブラジルに挑戦する人もいる
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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(10)=ペ・バレット=世界唯一?!の盆踊り常設場=珍しい史料集めた資料館も
2006年3月3日(金) 世界広しといえど、盆踊り専用の常設会場を作ったのは、ここぐらいのものだろう。南マット・グロッソ州のトレス・ラゴアスから、ふたたびサンパウロ州側に戻ってチエテ川を越え、最後の
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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(31)=宇都宮祐子=Escola Professora Josephina de Mello(マナウス)=ひらがなや漢字を描く?
2006年3月2日(木) 「DESENHAR?」私の生徒たちにしてみれば、ひらがなを「かくこと」は「書く」ではなく「描く」だった。 私の学校は日本語学校ではなく、ブラジルの義務教育を行っている学校
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25年=交流協会生コロニアと共に=OB編2=連載(7)=すでに人生に組込まれた「軸」=神戸さん「日本は息苦しかった」
2006年3月2日(木) 第六期生として渡伯し、以来、交流協会の活動に尽力してきた神戸保さん(41、愛知県出身)。研修終了後、一旦帰国。その後、すぐにブラジルに戻り事務局を手伝い始めた。「二十四歳だ
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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(9)=トレス・ラゴアス=大阪市より大きい牧場?!=オンサと〃牛〃種のるつぼ
2006年3月2日(木) 最終日の三日目、午前中はジュピア・ダムの見学だ。堤防の長さは約五千五百メートルもあり、サンパウロ州と南マット・グロッソ州をつなぐ橋の役割も果たす。 ダム見学後、いったんホ
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25年=交流協会生コロニアと共に=OB編1=連載(6)=研修時、未熟だった=島さん=再挑戦しようと渡伯
2006年2月28日(火) 九〇年、玉井義臣会長、藤村修理事長は、故・相場真一元会長、篠原ベルナルド事務局長らと、故・野村丈吾元下院議員の案内で、コーロル大統領と面会。「ブラジル支部」認可の陳情を行