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ボリビア 関連記事

パナマを越えて=本間剛夫=92

 そういってエスタニスラウは一枚のカードに二人の女性の名と住所を書いて私の手に握らせた。          ◎ 私は日本を発つ前の十日間、南米における農民の革命運動とはいえない農民の暴動に関する資料を集めて読み漁った。農民といってもそれは白人系に限られたもので原住民はいつも運動の埒外にあった。白人国のチリを除いて総ての国に土地問 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=90

「ハポネスだね。ここへ何しにきたんだ」穏やかな口調だ。「サンファン」「ああ、日本人移住地だね。あんたは移住者じゃないね。どんな用事で? 職業は?」「友人を訪ねるんです。ラパスの大使館に勤めています」 私は胸のポケットから大使館発行の身分証明書を出して見せた。兵隊はその証明書の写真と私の顔を見比べていたが、本人と納得した様子で「あ ...

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パナマを越えて=本間剛夫=89

 彼らがサンファンに着いたとき僅か五、六ヘクタールばかりを伐採した空地があるだけで周辺は昼なお暗いジャングルで大木が聳え、その下は密生した草木で覆われ、わずかに獣類の通路と思われる踏まれた雑草の窪みがあるだけだった。 西川は二万ドルの資金を用意していたというが、その大半は移民のために費やし、しかも現地に到着しても日本政府が約束し ...

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パナマを越えて=本間剛夫=88

 いよいよコルンバを出発、国境を越えて汽車はボリビアへ入ったが、移民たちは目的地に近かずいた喜びと安心よりもショックの方が大きかった。サントス出発以来、西北に向かうにつれて周囲の風景は次第に「文明度」が薄くなり、国境を越えると、とたんにそれは大きな落差をもって低下した。通ってきたブラジルの田舎ではペンキがはげ、屋根瓦は古びた一軒 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=87

        4 一九五四年、日本外務省はボリビアに対して移民の可能性を調べるため調査団を派遣した。彼らは二週間の調査ののちサンタクルース地方を選び、それから北西百三十キロのサンファンの土地を購入することになった。 この頃、企業家で海外からの引揚者西川利道は小規模精糖機械をもって海外進出を計画し、外務省に応援を求めていた。彼の ...

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パナマを越えて=本間剛夫=86

 農業担当官はブラジルに駐在したことがあり、私が戦後二度目の旅行の際、サンパウロで日本人移住者の候補地選定に動向した間柄だったことを知って親しみが湧いた。彼はボリビアの底地ジャングルに新設されたサンファン移住地の農業指導者として駐在しているのだといった。 食卓を囲みながら、誰もがゲバラについて一言も触れないのが不思議だった。私が ...

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パナマを越えて=本間剛夫=85

 明日から旅行会社の案内で京都、奈良を廻り、大阪から帰途にすくというエスタニスラウの言葉に戸惑った。「もっとゆっくり話す時間がないのか……」 私はアントニオとも話したかった。エスタニスラウは私という人間について、どのように説明してあるのか。ただ、ブラジル南部の海岸に近い小さな町の小学校で教えられた教師だ、という程度なのだろう。し ...

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パナマを越えて=本間剛夫=84

「生活費は必ず送金する。決して心配しないでくれ。子供たちも成長すれば、それぞれの方向に進むだろう。それまでは親の勤めだから、きっと送金する。おれ一人で行かせてくれ」 私は家内の納得につとめる傍ら秘かに旅券の手続きを終えて、伊原氏と会合を重ねていた。伊原氏はゲバラの活動の成否はともかく、私がブラジル行きを希望しているのを知って、リ ...

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1キロ超の麻薬飲み込む=ボリビアからの男性を逮捕

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パナマを越えて=本間剛夫=83

 私はためらいながら、「そのことなら、ゲバラと会っています」とエスタニスラウ杜の会談のもようを話すと、大使は「そうだったのか」と大きく頷いた。 私には三人の子がいた。一人は中学、二人はまだ小学生だった。すぐにも快諾の返事をしたかったが咄嗟のことで即断できなかった。心は焦った。大使のいうように、私は日本で生涯を終える気持ちは若いこ ...

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