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移民史に新たな一ページ=サンパウロ州新報=香山六郎の写真百枚超=娘のジェニーさんが史料館に=平野運平の直筆葉書も

2007年1月17日付け  第一回ブラジル移民船笠戸丸で渡伯し、戦前に邦字紙「サンパウロ州新報」社主をつとめた故・香山六郎氏(一九七六年没)が所蔵していた写真がこのほど、家族からブラジル日本移民史料館に寄贈された。寄贈されたのは戦前から戦後にかけて撮影された写真約百十枚。中には笠戸丸移民の通訳としてサンパウロ州グアタパラ耕地に入 ...

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トミさん後は大原綾子さん=暫定=生存する最古の日本移民=第3回厳島丸で1912年に=百歳迎えかくしゃくと=「新聞読むのが楽しみ」

2007年1月1日付け  〇六年年十月、百歳を迎えて亡くなった最後の笠戸丸移民、中川トミさんと同郷熊本出身で同い年の元気なおばあちゃんがサンパウロ市アクリマソン区に住んでいる。大原綾子さん、百歳だ。一九一二年の厳島丸で来伯した大原さんは、ニッケイ新聞の現時点の調査で、トミさんに次ぐ最古の日本移民だ。つまりもっとも長くブラジルに住 ...

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戦前最後の移民船で渡伯=「ブラジルに来て助かった」=サンパウロ市=森廣 登さん=「このまま戦争が続いたらどうなることかと思っていた。勝ち負けでなく、早く終わればいいと思っていたよ」

2007年1月1日付け  「心配することなく、ブラジルに来る決心がついた」。一九〇六年生まれ、昨年百歳を迎えた森廣登さん(岡山県出身、サンパウロ市在住)は、四一年にブラジル行きを決めたときの心境をそう話す。  「戦争が始まって仕事が厳しかった。戦争にどんどん出て行くので人が足らなかったんや。午前、午後、晩と働いて残業ばっかやった ...

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2日起きて2日寝る=皇太子殿下ご夫妻接待も=モジ市コクエラ区=橋田光代さん=「どこも悪いとこないし、今が一番たのしい」

2007年1月1日付け  「貧乏、貧乏で…。でも今はここがあるし、困ったことはない」。モジ市コクエラ地区で暮らす橋田光代さん(宮崎県出身)は、昔のことを振り返った。  十年ほど前、八十九歳のときに、二度目となる背骨の骨折をしてから認知症(ボケ)の症状がではじめたという。  光代さんは、足を怪我してからここ四、五年で、車椅子の生活 ...

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(3)中川トミさん死去=最後の笠戸丸移民、100歳で

2006年12月29日付け  第一回笠戸丸移民の中で唯一の生存者だった中川トミさんが、二〇〇六年十月十一日、老衰のためロンドリーナで死去。NHKなどの大手マスコミはじめ各地方紙、伯字紙など日伯両国で多数のメディアが扱うなど大きな反響を呼び、コロニア中に大きな衝撃を与えた。享年百歳だった。  一九〇六年十月六日に現在の熊本県熊本市 ...

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管理職の不摂生な生活=体を蝕むストレスに耐え

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千葉県人会=会館建設を県民運動に=50周年事業、母県で協賛会=原島会長訪日して協力要請

2006年12月12日付け  【既報関連】会館建設に向けて、着々と日本側での準備が進行中――千葉県人会(原島義弘会長)は、来年の県人会創立五十周年記念事業として念願の会館建設を計画、七月に母県で設立された「ブラジル千葉県人会設立五十周年記念事業協賛会」が実質的な活動を始めている。このほど、訪日した原島会長は、協賛会に参加している ...

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東西南北

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