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コーヒー 関連記事

■尋ね人■山形出身 今野一家

日本に残ったもう一人の息子・作治郎さん(左)。「ブラジル在住の親族に面影が似ているかも」と市川さん

 巡回法話のため来伯中の青森県昭伝寺住職・市川公淳さんが、戦前にブラジル移住した山形県旧西田川郡出身(現東田川郡)の今野一家の消息を探している。 妻の祖父母にあたる今野酉蔵・光代夫妻は正雄、光次、美枝、八重さん4人の子どもと共に、1937(昭和12)年8月20日出航のサントス丸で移住し、サンパウロ州でコーヒー栽培に携わった。 9 ...

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ニッケイ歌壇 (496)=上妻博彦 選

サント・アンドレー 宮城あきら

沖縄のゆくえ如何にか明日暗き辺野古の海に招かざる基地
全国土の六パーセントに過ぎさりしわが故郷に基地がひしめく
国防はその地に住めるはらからの賛意なければ成り立ち難くも

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サントス日帰り旅行、12日=青森県人会が参加呼びかけ

玉城会長(右)、渋川理事

 青森県人会(玉城道子会長)が、サントスツアーの参加者を呼びかけている。12日午前8時にサンパウロ市の青森県人会館(Rua Dr. Siqueira Campos, 62, Liberdade)からバスで出発。バスと観光船代として参加費75レ(昼食は自費)。 日本移民上陸記念碑やサントス厚生ホーム、コーヒー博物館を訪れる。途中、 ...

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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(26)

 ある日のこと、区長さんがきて北山さんが倒れたと知らしてくれた。その朝、コーヒーをすまして車の始動をさせていると、急に気分がわるくなったという、見舞いにいってきた千恵の話ではー奥さんも顔がむくんでいて別人のようだったーという。北山家では老人ふたりが病気になっても、生計にどうということはないにしても、不測の失費にちがいない。太一は ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(26)

北パラナの地図

二章 バンデイランテス 農場を守り、守り続けて90年 サンパウロ―パラナ線は、1930年、カンバラーから西へ52キロ地点まで延びた。駅はバンデイランテスと名付けられた。これは地名にもなった。 駅の開設時の賑いについてはカンバラーの章で記したので略すが、周辺の土地が区画化され、道が造られ、商店や住宅、ホテル……が次々と建てられた。 ...

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大耳小耳

 ブラジルに暮らして1カ月半、強く実感したのは時間感覚の違い。大都会サンパウロでも街中に時計がほとんどないし、地下鉄の駆け込み乗車も少ない。ある程度満席になると、皆目の前で発車する電車を悠々と見送り、次を待つ。一方日本では、例え地方の駅でも電車を目がけて走る、走る。まるで時間という目に見えない猛獣に追われているかのようだ。日本の ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(25)

松原綿花農工商バーラ・ド・ジャカレ支店に入荷するカミニョンの列(1977年4月、『綿花王 松原武雄』より)

その数奇な運命 マツバラの後、ファゼンダ・ブーグレは、セラフィン・メネゲールという、やはりこの地方の事業家が買い取った。2015年4月現在、ブーグレでカナを栽培、それを原料に、バンデイランテスでエタノール工場を操業している。が、業界は危機下にあり、業者は何処も、経営は最悪事態にある。 思えば、ブーグレは数奇な運命のファゼンダであ ...

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本門佛立宗=〃佛立聖地〃に宝塔完成=日水上人の悲願が結実=終戦70年、平和の鐘響かせ

山内上人がヘリに乗り込み、空中から開眼法要を行なった

 ブラジルにおける本門佛立宗の初祖・茨木日水上人の悲願が結実しようとしている。2011年、本門佛立宗(コレイア教伯教区長)は、全国信者の浄財でサンパウロ州タピライ市にある自然保護区に76アルケールの土地を購入し、寺や福祉・教育施設を併設する〃佛立聖地〃を建設すると発表した。今年、同事業の嚆矢となる宝塔が完成し、先月26日に日本か ...

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ニッケイ歌壇 (494)=上妻博彦 選

『カリンニョ』はポルトガル語で『カート』のこと。ブラジルでは、朝市やスーパーへこのようなカートを引いていくのが一般的である。

      サンパウロ      相部 聖花 過去は今過去になりたり未来世は未だ来たらず今を生きるのみ夫の沸かすコーヒーの香の二階まで立ちのぼり来て今日が始まるやわらかき冬日を浴びてくれないのつつじ咲きつぎ庭は明かるむ三か月咲き通したるシンビジウム色おとろえず鉢の縁に立つ今期三度開花を仰ぐイッペーも天候異変に迷いいるらし   「 ...

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平野植民地入植百周年祝う=先人の苦闘に想い馳せ法要=サロン新設し盛大に式典=12家族で500人受け入れ

式典後に全員で記念撮影(最前列左が森部久会長)

 「感無量。言葉になりません」――平野運平が死んだ年にここで生まれ、現在まで住み続ける平川秀雄さん(96、二世)は、そう言葉を詰まらせた。カフェランジア市の「平野植民地」の百周年組織委員会(池田清美委員長)は2日、約500人の出席者を集め、盛大に記念法要と百周年式典を挙行した。大農場主からコロノ(農業労働者)として搾取されていた ...

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