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越境する日本文化 カラオケ(1)=ブラジル〝上陸〟後30年=日系コロニア、冷めぬ熱

2月18日(土)

 アイジョージ、伊藤久男、小畑実、鶴田浩二……。往年の人気歌手がずらりとそろう。レーザーディスクでざっと六千曲。トイレ、冷房の完備した部屋で、気のゆくまま好きな曲を歌う。冷蔵庫には、日本酒やつまみが詰まる。機材、ディスク、飲食料品はすべて、日本で買いそろえた。
 サンパウロ市ジャルジン・セドロドリバーノ区の「高橋カラオケ道場」。道場といっても、歌謡教室ではない。高橋祐幸さん(岩手県出身、七〇)が趣味で自宅裏を改造してつくったカラオケ専用の部屋だ。 
 十人が入れるよう、いすとテーブルがしつらえてある。何かにつけて、友人、知人を招き、楽しい一時を過ごすのだという。
 六千曲のうち四千曲は懐メロ。主に昭和三十、四十年代にヒットしたもので、ディスクが既に廃盤となってしまったものも多い。集めるのに、ずいぶん苦労したこともある。  
 友人の羽田宗義日伯音楽協会顧問(文協クラシック音楽委員会副委員長)は、「これだけ、懐メロを持っている人はコロニアには、ほかにいません」と、曲数の多さに目を見張る。
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 ブラジル三菱商事を定年退職後、九〇年から九五年まで、日本の三菱系企業に役員として迎えられた。滞日中、収集に奔走した。
 懐メロとして現在、取り上げられるのは、昭和五十、六十年代の曲。欲しいのはそれ以前の時代のもの。各レコード会社の製品目録に掲載されていないディスクもある。東京浅草や大阪本町の中古ディスク専門店を駆け回った。
 九〇年初頭、昭和の名曲や懐かしのメロディーといった形で特集アルバムが発売され、伊藤久男の「建設の歌」、霧島昇の「旅役者の唄」などを、運良く手に入れることができた。これらの曲が入ったアルバムは発売後、まもなく廃盤となった。
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 ブラジルに帰国後は、もっぱら外でカラオケを歌っていたため、自慢のコレクションは埃をかぶることに。そして、存在すら忘れかけていた。
 転機が訪れたのは、〇〇年ごろ。二十年前に交通事故に遭い、その後遺症から、聴力が低下、演奏を聞き取れなくなったのだ。音程がとれなくなり、カラオケをやめざるを得なくなってしまった。  
 三度の食事より歌うことが好きで、若い頃から、カラオケに憂き身をやつしてきた。歌を奪われることは、死を宣告されるに等しいこと。何とかして、続けたかった。
 「日本から持ち帰った機材があるじゃないか」―。宝物の存在を思い出した。
 〇〇年から〇一年にかけて、機材をセット、一人でも楽しめるよう、環境を整えた。レパートリーを歌手別に整理、専用の検索本も作成した。
 しかし、一人で歌ってもつまらなかった。「相棒が必要なんです」。気の置けない仲間と空間を共有するからこそ、カラオケに意義があるのだ。
   g    g    カラオケがブラジルに上陸して、約三十年が経つ。日本で、一時のブームは過ぎ去ったものの、日系コロニアでは、まだまだ、熱は冷めそうにない。毎週末には、サンパウロ市内外の五ヶ所ほどで大会が開かれ、のべ五千人が出場するという。カラオケに傾倒する日系人の思いとはーー。その舞台裏を探った。 (古杉征己記者)

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