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越境する日本文化 カラオケ(3)=亡き両親に贈りたかった演歌=開業医、毎日向上めざす

2月20日(木)

 「果てしない海の彼方に……」。力強い歌声が戸外に、響く。
 鳥羽一郎の「海の祈り」を練習しているのは、二世の辺原敏晴さん(五八)。東京女子医大に留学中、カラオケスナックで演歌を聞き、情緒たっぷりの歌詞が琴線に触れた。以来、二十年余り、「日本の心」を歌ってきた。
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 生まれはバオパライーゾ(SP)市。六人兄弟の末っ子。
 一家は四八年に、カフェ園を出て、サンパウロ市郊外に移転した。苦労の連続だった。
 「働いても働いてもお金がたまらない」。
 両親は日の出から日没まで、農場でエンシャーダを引いた。
 家計を支えるために、上の兄弟たちは両親を手伝い、学問を修めることは出来なかった。
 農作業に励む家族の姿が、幼いながらも、胸にしみた。「少しでも、お父さん、お母さんを楽にしてあげたい」と、けなげに思った。
 一家はその後、農業に見切りをつけ、靴の販売で生計を立てた。
 家族が犠牲になり、本人は学問を積むことができ、大学を卒業、胃腸科の医師になった。

 祖国で、「日本人の温かい心を感じた」。演歌を聞いて、「しみじみと心にくるものがあった」。
 ここが両親の生まれた国だと、こみ上げてくる思いを抑えることが出来なかった。
 演歌の世界が人生にぴったりと合い、感情移入が容易に出来た。
 「二世でも日本人だという意識がある。『あなたは日本人よ』とよく言われる」と、引き継いだ血を誇る。 
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 帰国後、すぐにカラオケ教室の門をたたいた。最初は遊び半分だった。カラオケ大会に出場、歌のレベルが上がるたびに、熱が増した。
 「練習しないと、大会で、恥ずかしいですから」と照れる。
 開業医で多忙な毎日だが、仕事の合間を縫って、歌謡教室に通う。練習中でも、携帯が鳴る。
 自宅でも毎日、発声と歌のけいこを欠かさない。
 好きな曲は、鳥羽一郎の「兄弟船」。苦労をかけた兄たちに、贈りたい歌だからだ。
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 カテゴリーはエストラ。七段階のうち、上から二番目のレベルだ。
 幼いころは、生活に追われていたこともあり、娯楽など持てなかった。日本の歌をまともに、両親に歌って聞かせたことはない。
 「今のレベルで、両親に歌を披露したかった」と、声を詰まらせる。
 両親は既に他界した。歌を聞かせたい相手は、もう、この世にはいない。
(古杉征己記者)

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